徳川期における脱呪術化(Entzauberung = Demagicalization in Tokugawa Japan)
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例えば近世初頭の理学者小瀬甫庵(1564-1640)は、前田利家による石動山天平寺(天智天皇の勅願所と伝えられる)の焼き打ちにふれて次のように述
べている。「代々之秘法も調伏之護摩も本尊之神力も、実理にあふては其甲斐露なく見ゆ」「歴々たる武士たちの武運長久之戦功を仏神に便り、珠数の力を憑
む事は何事ぞや」と。彼によれば「理に背けば天に背く」のであり、「天意」に合うか合わぬかが人の運命の岐路となる。従って神仏の力を頼む呪術はすべて無
効だというのである。晩年の彼は生涯を振り返り、織田信長が妄僧に騙されなかったため「寺院の法力」もその頃から衰えだした。・・・。
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平石直昭『日本政治思想史』放送大学教育振興会(1997年)、pp.25-26
織田・豊臣政権、そして、徳川政権といった戦国武将出身の軍人政治家たちは、中世における「呪術の園」ともいうべき顕密体制への禁忌を、全く新たな「外 部」=キリシタンによる神仏否定を思想的梃子として振り払い、そのうえで、むき出しの暴力=軍事力をその顕密権門へ行使し、彼らの思惑通り、それらを次々 とその足下に組み伏した。
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