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2005年5月16日 (月)

宮沢誠一『明治維新の再創造』(2005年)

 明治維新を、ブルジョア革命 vs. 絶対主義の成立、ではなく「国民国家」形成の観点から捉える考え方が主流になってきたのは「ここ数年来」のことだと著者は言う(p.10)。本書はその流れに掉さして、歴史書や文学作品の読解を通じ、近代日本史の中で幕末維新像がどう変遷したのかを探ったものである。

 私は副題「近代日本の〈起源神話〉」に惹かれて手にした。〈明治維新〉なる言葉そのものが一つの神話であり、その創出を明治中期以降演出したイデオローグたち(例えば徳富蘇峰あたり)について書かれていることを期待していたのだが、内容はそうではなく、本書の対象は、「大正維新」と「昭和維新」であった。近代日本の歴史において、時代が閉塞感を高めるとき、明治維新が常に想起される範例であったこと、そしてそれを改めて歴史学の対象として設定したことは首肯できる。

 ただ、〈明治維新〉そのものがどう範例化=神話化したのか、その〈起源〉を歴史学的に追跡することこそが、米国という後見人の下、国家理性を失って事実上の心神喪失状態にある現代日本に生きる歴史家に期待される作業だった気がしてならない。

 資料を博捜し、データベースとしての価値は高いので便利であるが、惜しむらくはその域を出ない。

宮沢誠一『明治維新の再創造―近代日本の「起源神話」』青木書店(2005年)

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