「資本主義」なる言葉
この言葉について現在のところ、最も詳しく考証しているのは ブローデル(Fernand Braudel) です。みすず書房から出ている『交換のはたらき 1 』の第3章に書いてあります。しかしながら、それは、Deschepper,Edwin、という無名の学者のブリュッセル大学に提出した博士論文(1964)に全面的に依拠したものです。
そこには現代での意味とほぼ同じ意味での使用例として ルイ・ブランLouis Blanc(1850)、プルードン Pierre Joseph Proudhon(1858)を上げ、学界で定着したのはゾンバルト Werner Sombart の『近代資本主義Der moderne Kapitalismus』(1902)による、と書かれています。
私が推測するに、その後、Max Weberによってこの語は一段と広範囲かつ多様に学術語として使われる事になるわけです。いわゆる「資本主義」は、20世紀初頭のドイツアカデミズムにおける流行が、ドイツ社会民主党に集う左翼知識人にジャーゴン(jargon)として流通してくる事を通じて広まったのでしょう。ブローデルは有名なウェーバー嫌いということで、この憶測に類することはそこに含まれてませんが。
ただ、素朴に思うには、「資本主義 Capitalisme」の来歴を語りながら、普通にはその生みの親と思われているイギリスの経験を踏まえていない点です。
そこで、試みにOxford English Dictionary で Capitalism を調べました。英語の「資本主義 Capitalism 」の初出は、なんと、サッカレー(William M.Thackeray)の小説でした。実は、ここで「英文学こぼれ話」とつながるわけです。というか、前回の挿話は、ここでの簡単な調査の過程できづいたものなのでした。
ということで、話を急ぐと、「Capitalism」は、このサッカレーの『ニューカム一家 Newcomes』という小説の一節に出てきます。1854年のことです。O.E.D.の引用文だけでは、どういう意味で使われているのかあまり要領を得ないのですが、「資本主義は怠け者の眼を醒まさせる」みたいな文脈のようです。また、今世紀初頭まで、イギリスでは失業者のことを、idleman(怠け者)と言っていたようです。多分、businessmanとの対句のようなものだったのでしょう。ここに現代産業社会の本質の一端が現れているという気がします。
さて、ブローデルの語っている事実と、上記のO.E.D.の記載を引き比べると、いくつかの事実に気がつきます。
①「資本主義 Capitalisme」という仏語は、フランスにおいて、フランス社会主義の伝統の中にあるルイ・ブランが最初に使い始めていたこと。
②イギリスでは思想家や資本家自身でなく、小説家が使い始めであること。
③その出現のタイミングもほぼ同時期であるが、フランスでの使用が4年ほど早いこと。
ここから帰納できることは何でしょうか。
1)イギリスでは、中産階級以下の日常生活を描いた小説家が使い、フランスでは社会主義的社会改良家が使い始めである。つまり、両ケースとも、「資本主義」的なものに批判的な立場を取る人間たちが「資本主義」なる言葉を使い始めた。
2)「資本主義」的事実の真っ只中にあるイギリスより、まだその全貌が現れてないフランスにおいていち早く「資本主義」的事実に対する批判的言説が登場していた。
3)「資本主義」的事実の展開が英仏両国より遅れていると思われるドイツにおいて、アカデミックな語彙として認知され、英仏にはドイツから逆輸入されているらしいこと。
4)ブローデルは「古文書がなければ生きていけない」というほどの文献主義者にもかかわらず、O.E.Dにあたる、という基本的作業を怠っているように思えること。
という感じです。
現実の資本家や、「資本主義」的事実に肯定的な人々が、「資本主義」という言葉を毛嫌いするのは、1)、2)、からすると無理からぬ事であるようです。アメリカでは「資本主義」といわずに「自由企業制度 free enterprise system 」というようですし。学術用語が意外にドイツ産のものが多いのは3)から見ても面白い事実です。「ミネルバの梟」でしょうか。4)から、フランス人の気位の高さがアカデミズムにも反映されている、という感じですね。
※おまけ
国民文庫版の『資本論』の索引を調べたら「資本主義」なんて全3巻のうち一言も使っていません。あのマルクスの『資本論』に「資本主義」が無いなんて!。これはどう解釈すればよいのか。多分、「資本主義」と言う使い方はあまりなかった、と理解するのが妥当ではないか、と思います。
マルクスが第1版の序文をロンドンで書いたのが1867年7月25日、日本ではその翌月あたりから「ええじゃないか」騒ぎが出現し始め、その秋には大政奉還、翌年には戌辰戦争という疾風怒涛の季節が到来していました。ノーベルがダイナマイトを発明して戦争技術が一変するのもこの時期です。
つまり、この時期には当時の西欧社会を総体として表現する言葉としては、「資本主義」という語彙はまだ無かったということなのでしょう。この事実の歴史的意味がどういう事で、それがどの程度の重さを持つものなのかは、今の私も計りかねるところですが、少なくとも19世紀人には「資本主義」は存在しないかも知れないのですから、この語を持って不用意にこの世紀を見てはまずい、ということは言えそうです。
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