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2005年7月18日 (月)

明治憲法下での統帥権

 統帥権というとその後ろに「独立」という言葉がどうしても付いて回ります。しかし、明治憲法下で統帥権がどうなっているのか。憲法の条文からわかることは以下のことです。

1)第一条 統治の主体としての天皇。

2)第三条 「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」(この憲法下にあっては天皇はいかなる責任遡及もされない=天皇の無答責)

3)第四条 天皇による統治権の総攬および「此ノ憲法ノ条規ニヨリ」統治権を行使する。

4)第五十五条 「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」
         (国務大臣の天皇輔弼責任)
        「凡テノ法律勅令其ノ他国務に関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」
         (国務大臣の副署の必要性)

5)第十一条 天皇による陸海軍の統帥

6)第十二条 天皇による陸海軍の編制、常備兵額の決定

 つまり、こうなります。

   天皇(統治権の源泉であり、統治行為の主体)

   ↑   ↓  (でも、この憲法下においていかなる
   ↑       統治行為についても責任を遡及されない)
   ↑
   ↑   ↓ (行為の主体なのに責任がない、という支離滅裂なことは
   ↑      なぜ可能なのか?)

   ( なぜなら、天皇の統治行為に誤りがないように意見を上げる行為、つまり、
   輔弼責任を国務大臣が負っていた。もし、天皇が統治行為をミスっちゃったら、
   それはすべて、この憲法に明記された唯一の輔弼機関である
   国務大臣が悪いからであり、天皇を間違えさせた責任もすべて国務大臣
   にある。 )

 大日本帝国において、あらゆる統治行為は主体としての天皇の名の下で行われます。当然、統治行為には軍事に関することすべて含まれます。

 そうでなくては、結局、軍部(統帥部)は天皇からさえも独立してしまいます。そして、第五十五条において国務大臣の輔弼責任があり、輔弼事項に限 定はない。国務大臣の輔弼事項は「国家統治の大権」(告文)すべてであり、そこに当然、軍事権限、統帥事項も含まれるというのが法理です。

 ということは、統帥事項が国務大臣の輔弼外だと主張することは憲法違反を堂々と主張していることになりますし、帷幄上奏などを通じ参謀本部や軍令部が天皇との間だけで軍隊指揮に関する事柄を勝手に決定してしまい、国務大臣の輔弼、副署という手続きをスキップしてしまうとそれは天皇の違憲統治行為となってしまう訳です。

 こうなると、天皇の憲法下の統治行為無答責の法理は崩れてしまい、その行為に関して天皇は有責が帰結されることになります。その意味からも天皇の戦争に関わる法的責任は明白です。

 結局、明治憲法下で統帥権が政府から事実上独立していて、その違憲状態を憲法学者たちが学問的に追認していたということは、戦後の日本国憲法下 で、警察予備隊から自衛隊への創出という次々と起こる既成事実を追認し、合憲とする日本の憲法学の現状と全く同じだと考えるべきでしょう。つまり「法にも とづく支配」「依法的支配」という近代国家の統治原則の根幹において、そのデタラメさ加減の程度は明治憲法下でも現代と大同小異であった、というのが私の 結論です。

 以上は、「法」の観点から統帥に関して考えたわけですが、「政治」サイドからすると、政府から軍事権限を一つ一つむしり取って最終的には丸腰にす ることに暗躍したのは、なんと言っても山県有朋です。彼が中心となって実施した明治政府における制度上の改変一つ一つが、純粋に自分の権力をより堅固に し、未来永劫その力を扶植しようという布石であることは、彼の年譜上の官職および事跡を虚心に読み直すと、笑っちゃうほど明らかです。現代の学者における 山県有朋研究がどこかしら及び腰に見えるのは、そこに明治クーデタ政府、そして現日本政府の「支配の正統性」の根幹に触れてしまう作業になりかねないから ではないかとの疑いを深くしています。

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コメント

まつもとさん、どーも。
>いずれにせよ明治国家は旧ソ連のように対外戦争に明け暮れた末、80年を待たずしていったん自壊した
はい、同感です。日本史上の、1868年 - 1945年 において、統治者であったもの、または、その統治者の国家権力の発動に、片棒をかついだすべての「日本人」は、1945年8月15日における、この列島の廃墟に関し、その結果をもたらしことに対する治者としての責任と、その結果をもたらしたことの説明の責任を、負わざるをえません。この落とし前をつけずに、日本人としての誇りも尊厳も、決して回復することはない。必ず、つけてもらいましょう。その歴史法廷の審理への証拠を今、明治憲法に関して、ちょこっと集めてますので、少しお待ちを。

投稿: renqing | 2006年4月17日 (月) 00時50分

 そうですね。いずれにせよ明治国家は旧ソ連のように対外戦争に明け暮れた末、80年を待たずしていったん自壊したことは議論の前提としてふまえるべきでしょう。

投稿: まつもと | 2006年4月15日 (土) 11時15分

無名氏さん
 引き続き、コメントを戴きありがとうございます。ご指摘の点は、「憲法」としての理論的問題と、「明治憲法」としての歴史的問題の二つに整理できると思います。その整理のために、あまり遅くならない時機に新たに記事を書くつもりですので、そのときに、再度コメント戴けると嬉しいです。

投稿: renqing | 2006年4月10日 (月) 02時34分

帝国憲法は欽定であり、天皇大権は帝国憲法の定める範囲内で自らを制限し、範囲外で無制限です。


投稿: | 2006年4月10日 (月) 01時27分

無名氏 さん、コメントありがとうございます。この問題いろいろ面白いので、改めて記事を書かせて戴くことにします。ただ、
①天皇大権が憲法の上位概念、といえるのかどうか、
②もし天皇大権が憲法の上位概念であるならば、「憲法内の大権発動」という言明は矛盾を含まないかどうか、
を、ご検討戴くために、以下に憲法起草者の言を、引用しておきましょう。
「憲法政治ト云ヘバ即チ君主権制限ノ意義ナルコト明ナリ」(伊藤博文、枢密院会議筆記)
 鳥海靖『日本近代史講義』東京大学出版会(1988) pp.228 所引
(孫引、尾藤正英『江戸時代とはなにか』岩波書店1992、pp.230)

投稿: renqing | 2006年4月 7日 (金) 12時47分

 下のコメントは、本文を碌に読んでないとしか思えないな。
 また、統帥権が独立してないことは、たとえば山県など元老にとっては明白だった(なので、逆に陸海軍大臣の推薦をサボることによって内閣を簡単に潰すことができた)のでは。
 あと、天皇が本当に憲法を超越しているなどと、作者の伊藤博文は夢にも思っていなかっただろう。

投稿: まつもと | 2006年4月 6日 (木) 22時13分

上記は言葉足らずでしたので、一部訂正いたします。→「天皇大権は憲法の上位概念であるため、統帥権は国務と別個の憲法内の大権発動として、何ら問題ではありません。統帥権発動が「天皇の違憲統治行為」というのは矛盾した表現です。」

投稿: | 2006年4月 6日 (木) 21時29分

偶々拝見したので書かせていただきます。貴殿の「天皇責任論」は、統帥権の発動にも輔弼者が存在するという単純な事実をご存じないことから出発した誤解と思います。実際上、戦前の人間が天皇に帰責するが如き制度を容認するはずが無いことは、常識で考えても推測がつくことと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%94%E5%BC%BC
そして、天皇大権は憲法の上位概念であるため、「天皇の違憲統治行為」というのも矛盾した表現です。熱心なご勉強が窺われますが、更に御熟考あらんことを期待します。

投稿: | 2006年4月 6日 (木) 21時23分

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