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2005年8月 7日 (日)

李鴻章の激怒

 明治7年(1874年)5月明治政府は、徳川期日本二百余年間絶えてなかった海外派兵を、台湾に行った。台湾出兵(かつての「台湾征討」)である。しかし、明治政府はその三年前、明治4年(1871年)10月に、清国とのあいだに日清修好条規に締結しており、明治6年(1873年)4月には批准交換、条規は発効していた。その第一条には領土相互不可侵が約されていたが、その舌の根も乾かないうちに早速、その締結国(の事実上の一部領土)に軍事力を向けたわけである。

 これで、その条規成立の清国側立役者、李鴻章は激怒した。出兵事件の最中、赴任した駐清日本公使柳原前光が旧知の李鴻章を表敬訪問した際、李鴻章はテーブルを叩いて激昂している。(毛利敏彦著『台湾出兵―大日本帝国の開幕劇』中公新書1996年 p.173)

 "日本は二百余年もの長期にわたってわが国と条約関係がなかったにもかかわらず、一兵もわが領域を犯したことはなかったのに、いま初めて条約を結んだところ、たちまちわが国に軍事行動をしかけてきたが、これは許せない不信行為であるし、余は皇帝ならびに人民にたいしてまったく面目がたたない。"(同上)

 李の怒りは当然である。日本人は、ロシア(旧ソ連)が条約を守らない札付き国家だ、大東亜戦争末期のソ連参戦を見よ、と言うことを常とする。上記を見れば、それが、目くそ鼻くその類、笑止千万の恥知らずな口吻であることがわかる。

 明治エタティストたちが、「法」(条約、国際法を含む)を建前、お飾りとしか考えない、「力」の信奉者であり、骨がらみの国家理性信者、マキャベリストであることはこの一事でも明々白々である。換言すれば、明治エタティストの世界観は、近代版「国盗り物語」といえよう。その根は深い。

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