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2005年8月12日 (金)

東アジアにおける法理念

 以下の記述は中国法史の泰斗のものです。日本でも状況は同じでしょう。秩序=法とは人民が創り上げ、改訂していくものであり、それは可能であり、かつ近代社会(=対等な個人が暮らす社会)においては唯一正当なものであること。これが市民改憲を進める原理です。一人ずつでも説得していければ、必ずや日本社会を変えることは可能です、時間はかかっても。

 法は君主が世を治める道具であり、君主はこれを定め、官僚はこれを守り、人民は受動的にその拘束と保護を受けるだけのものであった。そこからは法が共同体の共有物として権力以上の権威をもつものだという観念は生じ得なかった。
 ・・・(中略)
  「法」と西洋の lex, Gesetz などの語は相通ずる。しかし jus, Recht などの語義、すなわち訴訟を通じて発見される正しさという観念は中国には馴染みがなく、法の字からそれを連想することは困難であった。今世紀の初頭以来、 法の近代化の過程で当然変化が生じているが、 Recht の観念に馴染みにくいことは今なお影を落としているのかも知れない。滋賀秀三著、[項目「法、中国」]岩波哲学・思想事典1998年

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