尾藤正英『江戸時代とはなにか』(2)
尾藤正英『江戸時代とはなにか―日本史上の近世と近代』岩波現代文庫(2006年)
尾藤氏の立論を私なりにまとめるとこうなります。
1)近世の武士は、中世までの武士と異なり、その出自は、一揆や惣といった自律的な秩序を創出する武装した上層農民に由来し、その政治意思決定方式も君主による独裁制というより合議制を常態としていた。実際、幕府や諸藩内部の意思決定方式も事実上合議制であった。
2)近世初期、ローカルな平和を自力で保証しようとした上層農民=武士たちの使命感は、兵農分離により、国家の政治と軍事に共同責任を担う武士身分の職能意識へと発展した。これは、「国事」のためには自己放棄を当然とみる武士的公共精神として結晶する。
3)近世徳川氏の権力も、元来、大名の連合政権という性格を有していた(豊臣政権末期の五大老制を見よ)。つまり徳川氏は the King of Kings に過ぎない。
4)以上のことから、、19世紀に入り対外問題をかわきりに、徳川氏の統治に動揺が見られると、早速、諸大名の幕府に対する「公論」尊重の要求と なった。また、この要求は武士だけのものだけではなく、近世上層農民にも共通していたからわゆる志士にそういった層からも人材が輩出していた。
その一方で、尾藤氏は上記の武士の「公共精神」が、版籍奉還や廃藩置県といった武士の身分的特権剥奪をより容易にしたとも主張します。
ただ、尾藤氏の思想史的立論は、社会経済史的な角度からも検証される必要があります。例えば、
で指摘されているように、武士の「領主権」というものが、武士の生活の中で実態としてどのようなもであったのか、まで降りてつき合わせて見る必要があると思われます。
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