人間性、この曲がった木 *(アンティゴネ2)
miyau さん
> 暴力に頼りがちな人間の哀しさは克服していきたいとも思います。
人間は弱いものです。そして、この弱さは時として、むき出しの力、すなわち暴力として現れます。なぜなら、人間は自らの理解を超えるものに直面したり、気持ちを伝えたい相手とのコミュニケートを断念すると、その代替物として、暴力というメッセージに訴えるからです。
ブッシュの米国がイスラムに暴力をふるい続けるのは、彼らがイスラムを理解できず、また理解しようともしてないからです。フランスでの暴動なども、言葉の代わりに、追い詰められた者の怒りを表明しているのでしょう。自爆テロも。
そして、この「弱さ」は、私やあなたも抱えている人間性 human nature の一部なのです。だから「克服」は難しい。ただ、暴力そのものは、自由で公正な討論による人間性の発展と社会秩序の形成、を脅かすものです。それは許せな い。ですから、何らかの強制力でその暴力を制御せざるを得ません。
しかし、その不可解なメッセージに対して、警察力や軍事力のみで対応していては、その当の暴力者も、不可解なメッセージしか受け取れず、メビウスの帯のような、更なる暴力の無限循環に入り込んでしまいます。
では、我々ができることはなんでしょうか。おそらく、そのメッセージが直接理解できなくとも、「理解しようとしている」人間もいる、ということを伝えることです。そして、その「弱さ」の中に、もし「痛み」が隠されているならば、素直に涙することなのだと思います。
*表題は、
Berlin, Isaiah , The Crooked Timber of Humanity, 1990
I.バーリン「理想の追求」、『バーリン選集』第4巻所収 、岩波書店1992年
の中の、カントの引用「人間性という歪んだ材木からは、真直ぐなものはかつて何も作られなかった」(p.27)から。少し訳を脚色しました。
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コメント
miyau さん
別に恐縮されなくていいのです。miyauさんのコメントをダシにして、一日一つという私のblog記事のノルマを実行させてもらったのですから。逆に助かったわけです、はい。 (-_-;
私の考えは、このmiyauさんのコメントと少し違うかもしれません。人は、他者へのコミュニケートの方法として、暴力から愛まで選べる自由度を持つと考えています。
動物も暴力を振るいますが、それは捕食のためや、自分の子孫をより多く残すために、オスが他のオスを攻撃したり、他のオスの子どもを殺したりするといったことです。つまり、生命維持、とか、自己遺伝子の残存確率増大のためなのでしょう。行動とその帰結がかなりピッタリ一致するものと思います。
しかし、人間は、簡単に人を殺すこともありますし、自分の遺伝子と全く関係ない人々のために、信じられない献身をすることもあります。一言でいうなら、「自然から追放」(関曠野)されているのだと考えます。
我々が、人の行動を、賞賛 or 非難、できるのは、そこに、善をなした時に悪をなし得、悪をなしたときに善をなし得る、人間行動の可塑性を認めているからです。これが道徳の根拠であり、《罪》の意味するところだと思います。
さきほど、人間は「自然から追放」されている、といいましたが、では、どこへでしょうか。それが「歴史」です。善と悪、愛と暴力、の織り成す人間たちの軌跡。それが「歴史」だと考えます。
そして、歴史の中に、己の《罪》を認め、悔い改めることができること、そのことによって、新たな未来を創造すること。ここに(動物とは異なり)人間性発展の契機が隠されているのだと思うのです。
投稿: renqing | 2005年11月12日 (土) 04時20分
renqingさんわざわざエントリまで作っていただいて恐縮です。TBの件はダブった場合には有無を言わさず削除してください。ココログの調子が悪いとダブったり、ダブってるようでダブってなかったりしますので。
人間の弱さやそれから派生する暴力は生物として存在する以上不可欠だと考えます。克服という言葉が強すぎたのかもしれません。
カントの使っている「人間性」は上記生物としての本能を指すのでしょう。生物の本能と定義しても必ずしも弱肉強食ばかりでなく、自然界においても「社会」を形成する哺乳動物や昆虫などや子孫を育成する場面においては暴力は表裏一体のものでありつつも「愛」の萌芽もしくは「愛」そのものともいえる生態が観察されることから、愛と暴力はともに人間の性ではないでしょうか。そこから生産や発展に連なっていくと切望しているというのが正確なのかもしれません。
暴力は社会を形成維持するうえでは、コントロールされるべきという感覚もそこから生まれいずるのでしょうか。これもまた曲がった木から生まれいずるhuman natureのうちの一つでしょうね。
理解しようとすること、そして弱さの奥にある痛みを認めて涙する。そこから共存の可能性に至るように思います。
投稿: miyau | 2005年11月12日 (土) 00時02分