Borges は、ボージス?
別に、自衛隊の新しいタイプのイージス艦ではありません。文学のお話。
というサイトに、
井上京子著『もし「右」や「左」がなかったら 言語人類学への招待』(大修館1998)
における、ボルヘス(Borges, Jorge Luis)の傑作な誤訳について指摘があります。
このサイトの筆者は、
「ボルヘスも知らない人が人類学を騙って語っていいのだろうか?」と
この顛末を締めくくっています。
私は、この井上京子なる人物を全く知りませんが、目次やさわりの感じから、認知心理学的アプローチを感じます。つまり、どちらかというと工学系の畑(人工知能論とか)から来た人に見えます。それで、ボルヘスを知らない、という無惨なことに陥ったのではないかとちょっと感じました。
う~ん、恥。
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コメント
足踏堂 様
結局、米原万理のいう、
「翻訳は女性のようなものである。美しくなければ忠実でないし、忠実であれば、きっと美しくない」
ということに集約されるんでしょう。語学の才がなくてよかったぁ。
投稿: renqing | 2005年11月17日 (木) 07時38分
ちょっと可哀相な感じもしますが、翻訳者にはそういう責任がありますね。
誤訳といえば、ロールズの『正義論』が有名でしたね。あれのおかげで、原文で読めとか言われて、困ったのも、今は昔。
しかし、研究者の訳文は一般人には読み難く、こなれた訳はわかった気になっただけで終わるって現実がありますね。私は、志水速雄訳『人間の条件』はさらっと読んで、読みやすいながら何も残らず、アーレントのドイツ語的な英語をゴリゴリ読んで、志水訳には見えなかったものが見えた記憶があります。
翻訳ってのはなんなんでしょうね。
投稿: 足踏堂 | 2005年11月16日 (水) 17時38分