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2005年11月25日 (金)

人ではなく、法にこそ頭(こうべ)を垂れよ

クレオン(アンティゴネに) さあ、次はおまえだ。さあ、答えなさい。要するに、これはどういうことなのだ。おまえはこんなことをしてはいけないというお触れが出ていたのを知らなかったのか。

アンティゴネ いいえ。知っていたわ。知らないわけがない。あのお触れなら誰でも知っていたわ。

クレオン それなのに、おまえはあの禁令をあえて破ろうとしたのか。

アンティゴネ そうよ。それは、あのお触れを出したのはゼウスの神でもないし、あの世を治める正義の女神でもないからだわ。神々はあんな掟を人間の世界に対してお決めになってはいないわ。

 それに、あなたの禁令には、神さまがつくった揺るぎない不文律を人間が踏みにじることができるほどの力があるとは思えなかったわ。

 この不文律は昨日今日に始まったものではなく、ずっと昔からあったもので、いつ始まったのかは誰も知らないくらいのものなのよ。これほどの掟をわたしが誰かの思惑を恐れて破るようなことはありえないわ。もしそんなことをすれば神さまから罰を受けるわ。
ソフォクレス『アンティゴネ』より


 法は実力と道徳のせめぎ合いの上に成立している。そして法の歴史は、最大限の力と最小限の道徳から最小限の力と最大限の道徳への、たゆみなく辛抱強い歩みを証言している。法の歴史は、力から道徳への人類の教育過程にほかならない。力による裏づけなしには法は効力をもたない。しかし法を法たらしめているのは、いつの日か人類は力ではなく道徳によって社会秩序を維持するに至るであろうという希望なのだ。法とは、この希望の別の名なのである。
関曠野『歴史の学び方について』窓社1997、p.22、より

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