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2005年11月10日 (木)

アンティゴネ、あるいは自然法について / Antigonē or about Natural Law

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『アンティゴネ』 註1)

クレオン(アンティゴネに) さあ、次はおまえだ。さあ、答えなさい。要するに、これはどういうことなのだ。おまえはこんなことをしてはいけないというお触れが出ていたのを知らなかったのか。

アンティゴネ いいえ。知っていたわ。知らないわけがない。あのお触れなら誰でも知っていたわ。

クレオン それなのに、おまえはあの禁令をあえて破ろうとしたのか。

アンティゴネ そうよ。それは、あのお触れを出したのはゼウスの神でもないし、あの世を治める正義の女神でもないからだわ。神々はあんな掟を人間の世界に対してお決めになってはいないわ。

 それに、あなたの禁令には、神さまがつくった揺るぎない不文律を人間が踏みにじることができるほどの力があるとは思えなかったわ。

 この不文律は昨日今日に始まったものではなく、ずっと昔からあったもので、いつ始まったのかは誰も知らないくらいのものなのよ。これほどの掟をわたしが誰かの思惑を恐れて破るようなことはありえないわ。もしそんなことをすれば神さまから罰を受けるわ。

(中略)

クレオン おまえは極悪人とエテオクレス殿を同列に扱うつもりか。

アンティゴネ 当然だわ。死んだポリュネイケスはエテオクレスの兄であって、奴隷ではないのだもの。

クレオン しかし、彼はこの国を荒らしに来て死んだのだぞ。この国を守るために死んだ人とは違う。

アンティゴネ それでも、あの世の神さまは、この儀式を要求するのです。

クレオン それでも、善人と悪人とが同じ扱いを受けていいはずがない。

アンティゴネ ひょっとしたら、あの世ではそれが敬虔というものかもしれないわ。

クレオン いいや、敵は死んでも決して味方にはならないものだ。

アンティゴネ いいえ、わたしは憎しみを共にするのではなく愛を共にする性分なのです。   註2)

 

註1)BC5世紀、伝説に題材をとった古代ギリシアの悲劇詩人の一人ソフォクレスの代表作。

 オイディプスの息子たち、エテオクレスとポリュネイケスは王位を争う。国を追われた長兄のポリュネイケスはアルゴス軍とともに祖国テーバイを攻め,弟エテオクレスと相討ちで果てる。新国王クレオン(アンティゴネの叔父)は国に敵したポリュネイケスの埋葬を禁じ、野ざらしにする。オイディプスの長女アンティゴネは国法よりも神々の掟を守り,兄弟への愛から兄ポリュネイケスを埋葬しようとするが、国法に反した咎(とが)で投獄され、縊死(いし)する。

 西洋法思想史では、この物語に《自然法》の思想的系譜を考えるの通説である。ただし、思想史家、関曠野は、西洋の《法》ないし《自然法》の思想的淵源を、この通説であるところのヘレニズム起源説は取らず、ヘブライズム=旧約思想に求めることを提起している。

 この日本で、自民改憲論と正反対の、基本的人権を人類の遺産として尊ぶ人々に、《改憲アレルギー》症状を示す人々が多いのは事実だ。しかし、憲法を含む実定法秩序を基礎付けるものは自然法思想であり、西洋人たちはそれを人類共通の尊厳の拠り所として継承して来た。その歴史には、《力》の前に斃れた、名も無き、勇気ある幾万の人々がいるだろう。それは今、西洋を超えて、われわれ東洋の一隅に存するものの尊厳も支えている。憲法の《名》にこだわらないで欲しい。大日本帝国、およびその〈憲法〉は、極東軍事裁判において、人類の《自然法》によって裁かれた。1946年憲法も、《自然法》によって裁かれうる。

註2)ここらへんは、戦死者を敵味方に分け隔てし、味方の死者を顕彰するだけで、人の死そのものを悼(いた)むことを忌避する、イデオロギー装置=靖国神社の問題にも参考になるくだりだと思う。

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コメント

miyau さん

レスを書いていたら、長くなってしまったので、記事で書かせて戴きますね。TB二つついちゃってたんで、新しいほうを削りました。あしからず。(^^v

投稿: renqing | 2005年11月11日 (金) 03時46分

renqingさんこんばんわ
いつもTBありがとうございます。

人間は憎しみを共にするのではなく愛を共にするということでこそ救われるという気がしますね。
憎しみの怨嗟の前に愛を訴えるものは暴力によって押さえつけられてしまうものなのでしょうか。暴力からではなく愛から生まれいずることに誰もが慰められるに違いないのに、暴力に頼りがちな人間の哀しさは克服していきたいとも思います。

投稿: miyau | 2005年11月10日 (木) 22時00分

コメントありがとうございます。

人はたいてい、イスメネとして生き延びます。そして、アンティゴネはイスメネの記憶の中で生き続け、イスメネを勇気ある人にするのです。それでよいのだと私は思います。

投稿: renqing | 2005年11月10日 (木) 05時32分

初めまして。
僕にとって『アンティゴネー』は、どうしても、この物語を特に愛したシモーヌ・ヴェイユそのひとと印象がカブります。クレオーン=ナチスの「国家道徳」対アンティゴネー=ヴェイユの「人間の愛」。普遍的かつ今日的な問題でもありますよね。
もっとも『アンティゴネー』については、ヒロインが(そしてヴェイユが)妹イスメーネーの弱さを罵倒するくだりなどは、ちょっと残酷かなあ-とも思うのだけど。多くの人はアンティゴネーのように(=ヴェイユのように)死ぬことはできず、イスメーネーのように生きてしまっているのだから。

投稿: 弓木 | 2005年11月10日 (木) 04時55分

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