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2005年12月22日 (木)

仮面の独白

 あるblogが三島由紀夫がらみのことを書いていたので、コメントしようと思ったのだがつい長くなりそうなので、記事にしてTBをつけることにした。

 改めて彼の年譜などを見た。う~ん、一言でいえば、the best and brightest。しかし、彼の文章ではなく行動をみると、虚勢を張っているイメージが拭えない。彼の出世作は『仮面の告白』だが、彼の40年の歩みは“仮面の独白(モノローグ)”ではなかったか。すべてが、彼の才能すべてが、徹頭徹尾、己を隠蔽するために費やされたように感じる。

 ここからぐだぐだ、生まれの因縁から説き起こそうかと思ったのだが、私の言いたいことが下記のサイトでほぼ言い尽くされているのをつい今しがた、知ってしまったので、そちらを参照願おう。

三島由紀夫

 因みに、某ネット書店の『夏子の冒険』書評欄で、夏子の名の謂れを知りたがっていたが、それは幼少期の平岡公威を支配していた父方の祖母、夏子であることは明白であろう。

※参照blog

「彼」の自画像

十一月二十五日のこと如何に

《村上春樹、そして三島》 走り書き

むらかみはるき

恥ずかしながら(-_-;私のも。

三島由紀夫『文章読本』
三島における小説と映画
阿部 昭『短編小説礼讃』(岩波新書1986)

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コメント

猫屋さん  コメントありがとうございます。

 『音楽』(1965)、ですね。

 三島って、結局、見栄坊の対人依存症の自己中の奴が、生来の明敏な頭脳とその自意識過剰ゆえの神経の張り詰めた文体で、己が主人公になる人生というドラマを演出しようとしたんですね。で、結局は行き詰まった。猫屋さんがご指摘のように、死に際まで、注目されたかったんでしょう。おそらく、彼の最大の恐怖は、「無視」ですね。

 ああやって死んで、今もこうして語られてるんだから、彼の計算どおり、といわけです。私は『文章読本』が大好きで、随分裨益していますが、正直、「しょーもない野郎」ですよ、ホント。

投稿: renqing | 2005年12月22日 (木) 13時41分

どもども、猫屋です。
該当エントリは村上春樹に関するフラッシュな印象のはずが何故か三島に横滑りしてしまいました。つまり三島については長い間(ほぼ35年)考察してなかったわけ。で、私のリアクションはなんにでも反発する厨房当時のまま。でも同時にあの頃の無防備な感性に、今やっと納得がいく部分がある。

当時の私は三島の死を、心中ものと捉えた。憂国はたんなるデコレーションだと思えました。キッチな制服は歌舞伎の心中物の死装束だし、ボディビルも剣道修行も、今見れば道行きへの準備と見えます。六本木の現場にいたインサイダーの友人は、オーディエンスはまったくシラケテ見ていたと言ってました。

やはり、彼は卓越したストーリー・テラーとして評価すべきだろうと思います。残念ながら、物語の虚構性と現実をどこかで混同してしまった。オーソン・ウェルズの映画場面のように、自分で作った鏡のラヴィラントに捕らえられてしまったんでしょう。

一番好きだった作品は“午後の曳航”、リアリズムの崩壊に気がついたのは、タイトル確か“音楽”とかいうヤツでした。

いつの間にか三島も“都市神話”のひとつのイコンになってしまった感があります。

投稿: 猫屋 | 2005年12月22日 (木) 10時33分

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