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2006年1月13日 (金)

江戸時代の「ロミオとジュリエット」(1)

 人形浄瑠璃というのは、今では古典芸能に祭り上げられているので、かつての大衆性は望むべくもない。かくいう私も、某国営放送教育チャンネルでかいま見るだけだ。

 と暢気に語っている状況ではないので、標題のものを紹介して、詳細は次回へ(たぶん)。

妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)

 詰(山の段)。吉野川を挟んで,仇敵の家が向かい合う。それぞれに,互いに恋心を抱く雛鳥と久我之助がいる。やがて、息子の父親がそれを絶つには 切腹させるしかないと考える。一方、娘の父親はその恋を成就させるにはその首を討って相手へ差し出すしかないと思い詰める。二人の父はそれぞれに果たす。 娘の父は我が娘の首を相手方へ差し出し、自害した相手方の息子との血の婚礼となる。

 あの世であっても、添い遂げようという男女の思いは、古今東西、時を超えて同じということか。

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