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2006年1月30日 (月)

善意ある隣人として

 先の日曜の深夜、某国営放送ラジオの書籍紹介コーナーで、下記の作品が紹介されていた。

 小山清 「落穂拾ひ」

 小説やドラマというほどの筋はなく、著者の日常に現れる人々と、著者との情景を、他者に踏み込むでもなく、関わらないのでもない、淡い水のように描いたものとのこと。

 「BOOK」データベース に、

「明治の匂いの消えのこる浅草界隈に生い育ち、片隅に生きる人々の小さな人生に澄んだ眼ざしを注ぎ、純粋無比の作品を遺して短かい生涯を終えた作家・小山清―不偶の中で呻きながらも文学を信じて心あたたまる作品を書きつづけた小説家の稀有な文業」

とあった。私は、図書館で下記のもので読んでみるつもり。

『小山清全集』
単行本: 659 p
筑摩書房
ISBN: 4480703918
増補新装版 版 (1999/11)

文庫としては、

日日の麺麭(パン)・風貌―小山清作品集
講談社文芸文庫
小山 清 (著)
4061984233

がある。

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