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2006年1月22日 (日)

徳川家康は《幕府》を開いていない

 渡辺浩『東アジアの王権と思想』東京大学出版会1997年、より。

p.3
 現在のように、「幕府」という語が一般化したきっかけは、明らかに、後期水戸学にある。・・・。とりわけ、〔藤田:引用者注〕東湖の『弘道館記述義』(弘化四・1847年、再稿完成)が、江戸時代末期に、「尊皇攘夷」の語とともに「幕府」という名称が流行語となる直接の原因になったと思われる。
 では、何故、後期水戸学者はこの語を用いたのだろうか。「正名論」の示すように、徳川政権があくまで京都から任命された「将軍」の政府であることを強調するためである。そして、正統性根拠を(一般に「皇国」の自己意識が強まる中で)明確化し、体制を再強化するためである。「幕府」とはそれを意図した、正に為にする政治用語だった。

p.4
 ・・・。そして、明治以降、学校教育の助けを得て「幕府」の語は完全に定着した。無論、それは、天皇が「日本」の歴史を通じて唯一の正統な主権者であり、徳川氏も、せいぜい天皇から「大政」を「委任」されて統治者たりえていたのだという(江戸時代の始めには無かった)歴史像と結合していた。
 このような意味で、「幕府」とは、皇国史観の一象徴にほかならない。

p.5
 では、何と呼べばよいのだろうか。「徳川政権」等も考えられる。しかし、当時最も普通の呼称を使うのが、自然であろう。それは、「公儀」である。・・・。
 江戸時代に現実に中央の政府として機能を果たしていた組織は、原則として「公儀」と呼ぶのが、少なくとも「幕府」よりは、適当であろう。

*下記も参照を請う
禁裏様と呼べ!
鎌倉時代に「鎌倉《幕府》」は存在しない: 本に溺れたい

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コメント

松本さん ちょっと手元の資料で調べてみましたが、はっきりとは分かりませんでした。おそらく、《スメラミコト》でしょう。渡辺氏の著書には、「順徳天皇(1210-1221)以来、1840年に光格天皇(1779-1817)のし号が復活するまで、「天皇」の号は、生前も死後も正式には用いられなかった」とあります。神皇正統記は1339年に成立しているようですから、この用語は親房の政治的意図を表現したものでしょう。

投稿: renqing | 2006年3月13日 (月) 03時02分

テキトーなコメントで済みません。ちょっと調べました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B9%95%E5%BA%9C
http://www.tabiken.com/history/doc/G/G031L100.HTM
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%96%B9

 によると、鎌倉政権は「鎌倉殿」、室町のは「公方」が一般的呼称だったようです。「神皇正統記」も斜め読みしてみましたが、たしかに「幕府」という言葉は出てこないですね。ただ「天皇」は随所に出てくるのですが、当時の読みは「すめらみこと」なり「おおきみ」だったのでしょうか?

 いずれにせよ、明治以前ほど「公=権力者」を截然と区別していなかったのは確かなようです。

投稿: 松本和志 | 2006年3月 6日 (月) 12時31分

 室町<幕府>の自称が何だったか、は興味深いですね。室町政府は「花の御所」と呼ばれていたそうですが、たしか「御所」「御所様」は天皇の別称でもあったのでは(この辺は時代劇やマンガの記憶なので怪しい)。もしそうだとすると、朝廷と<幕府>、<天皇>と将軍を、人びとはさほど明確に区別していなかった(足利義満は、一旦はその両者を統合したわけで)のか?とも想像します。

投稿: 松本和志 | 2006年3月 6日 (月) 12時05分

コメント、TBありがとうございます。鎌倉、室町の武士政権も、自称としては「幕府」は使っていません。ま、当然ですが。政治用語化するのが19世紀ですから。人間は、思っている以上に過去の思想の奴隷です。cool head but warm heart が必要である所以です。近年、とみに、逆の、 cool heart and warm head な連中が増えてますが。

投稿: renqing | 2006年1月23日 (月) 07時07分

これは驚きです。「幕府」という語は鎌倉政権が中国での将軍の陣中にあやかって名づけたものと教科書などに記されていたからです。

そうすると、将軍でない武家政治の織田・豊臣政権はどうなるのかも興味深いです。

尊王攘夷については、靖国神社の記事をTBします。宜しくお願いします。

投稿: 舎 亜歴 | 2006年1月22日 (日) 09時36分

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