藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005年(1)
この本を読了し、率直な感想は、「疲れた」である。*
私は本を読むことが好きである。それは私の人生において大切な行為であり、一日の三分の一以上の時間を仕事に投ずる身としては、読書の時間はとても貴重なものとなる。また、以前から、著者の『若き数学者のアメリカ』や『数学者の言葉では』、『遥かなるケンブリッジ』にも親しんでい、その軽妙、洒脱な語り口も好きだった。簡単に言えば、旧いファンだったと言える。
その藤原氏とは随分とご無沙汰ではあったのだが、ここ最近の著作は、かつて私がファンであった頃とは少しズレてきているのだろう。この書は、私に とって、いちいち粗さが見えて読むのが辛かった。ただ、奥付を見ると、発行1ヶ月(2005/12/20)で7刷とある。江湖に受け入れられているのも事 実である。しかし、内容は危うい。この書を読まれて、「そうだ、そうだ、その通り。」といった感想を持たれた方が、内容を鵜呑みにしないよう忠告すること は無益ではないであろうし、藤原氏の旧いファンとしての義務のようにも思うのだ。また内容が幅広いためもあり、断続的に書き継がざるを得ない。諒とされた い。
なにごとかの批判を行う場合、自己抑制がしっかり働かないと、批判対象をその実像より矮小化しつつ、批判を実行してしまうことがままある。この書の大きな問題はこれである。しかし、それは見苦しく、美しくない。
また、著者は数学者であるにも関わらず、論理のすり替えを、意図してかせざるか、巧妙に行っている。これは著者の常套的な語法なので、『国家の品格』ファンへの解毒剤として、わかり易い点を、まず一つ挙げておこう。
《長い論理は危うい》に関して。
p.59
例えば、なぜ小学校で英語を教えるなどということになったのでしょうか。「国際人」がらみです。ここで国際人とは、海外でも人間
として敬意を受けるような人間、ということにいたします。「小学校で英語を教える→英語がうまく話せるようになる→国際人になる」。たったツーステップで
す。凄くわかりやすい。・・・。同じツーステップでも、「小中学校で国語を強化し読書を奨励する→人間の内容が充実する→国際人になる」の方がはるかに信
頼性が高い。
私は著者の主張していることに同感だし、賛成である。だから、私の批判のポイントは、そのやり方にある。その点ご注意いただきたい。ここで、国際人の定義を、《海外でも人間として敬意を受けるような人間》としておきながら、著者は、その批判対象を、
①「小学校で英語を教える→英語がうまく話せるようになる→国際人になる」
という論理連鎖で表現する。その一方で、著者が支持する論理連鎖を、
②「小中学校で国語を強化し読書を奨励する→人間の内容が充実する→国際人になる」
とする。しかし、①の2番目の連鎖には、英語がうまくなると、なぜ《海外でも人間として敬意を受けるように》なるのか、わざと連鎖を落としている。 いくら文科省官僚の頭が悪くとも、英語がペラペラになったからといって尊敬を受ける人間になるはずだ、とは思うまい。つまり、①は人間の表現手段(プロト コル)をどうするか、に主意があり、②は人間の内容(コンテンツ)を重きを置いている。この比較では、前者がみすぼらしく、後者が豊かに見えるのは当然で はないか。このすり替え語法は、より重要な、自由、平等という概念の批判でも行われているので、これは次回に。
ちなみに、もし、私がテレビで活躍するバイリンガルたちへ羨望から「小学校から英語」という観念に脅迫されてあたふたしている親たちを批判するな らこうである。子供が血肉に出来る言語は、親が語りかける言葉か、友達と話す言葉以外にはない、だ。バイリンガルたちは、学校で友達と日本語、家庭内では 親と英語で話すから、二重言語の話者になれるのだ。親がしゃべれない外国語を子供が自然に話せるようになる、などというのは、子供むけ英会話業界の慰め、 直裁に言えば、騙し、のテクニックである。実際には、親も一緒に英会話教室で習ったほうがより効果が上がると思う。
また、文科省は、著者のいう《海外でも人間として敬意を受けるような人間》などというまっとうな「国際人」の定義は持たないと私は推測する。単純 に、中学3年間、高校3年間、大学4年間で、英語が定着しないから、あとは小学校6年間に英語学習期間を延長しただけだろう。TOEFLスコアの国際比較 やシンガポールあたりを見てのことに過ぎまい。つまり、文科省の国際人の定義は、英語の話せる人間、に止まる、と見る。
*この点は、出版社の宣伝文句や帯、目次を一瞥しただけで先刻承知していたことなので、足踏堂さん、お気になさらずに。(^^;
**「論理と因果」は、ちと、わかりずらかったので、別記事として書く予定。この問題は、かなり重要な問題を孕んでいて、論理学者・哲学者チャール ズ・パースがその「探求の理論」で、ヘーゲルの弁証法を取り込んだこととも関係する。だから、実は、短いエッセイを書くのもかなり大変。へんなところで、 切り出してまずかったかな、と少々反省。(-_-; この書評が終わったところで、書いてみます。→ハラナ・タカマサさん
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