藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005年(8)
本来は、別の記事として書くべきであるが、先の関曠野からの引用が多少中途半端な面もあるので、もう一つ引用することをお許し願いたい。
ちなみに、この、
の、第II部「自由と国家を問わずして歴史は語れない」は、おそらく戦後日本で世に問われた政治思想史として、最も優れたものの一つと私は考える。この本の、学術書とはいえない体裁や分量、著者に官立大学の肩書きがない、などに惑わされてほとんど見過ごされているが、旧約思想を起点として、人間とは何か、人間にとって歴史とは何か、という旧約のテーマを掘り下げつつ、一貫した(西洋)政治思想の叙述というのは、日本では他に見当たらないと思う。外国文献などほとんど知らない私だが、例えば、20世紀イギリスが生んだ最も優れた歴史哲学の書と評される、コリングウッド『歴史の観念』(1946)*を一瞥しても、その第二部「キリスト教の影響」においてさえ、旧約思想に一顧も与えていない。それからすると、西欧の知的世界でもそのアプローチは特異なものと言えるかも知れない。思想の質として、私にはI.バーリン(Isaiah Berlin)とつながるものを感じる。現代ヘブライ語などてんで分からないので、イスラエルの政治思想史の本はわからないが。
「・・・。自然権が問題をはらむ権利になりうるのは、それが各人の自主的な善悪の判断に基づく私的な立法行為とそうした法の私的執行を意味するからである。自然法が支配する自然状態においても邪悪な人間の不法行為は起きうるから、私的立法のよる制裁で自然法秩序を回復しようとする試みは避けがたい。だが、私的立法は安定した予見可能な秩序をもたらすことができず、究極的恒常的な平和と安全というその目的を達成しえない。この目的は、各人が社会契約によってその自然権を公権力に譲渡し、普遍的で公平な法が各人にとっての共通な法として宣言されるときに達成されるのである。社会契約は、私的立法を可能にする各人の内奥の権威から制裁力をそなえた共通の権威を同意によって創造する。従って、それは平和と安全をたしかなものにする方便といったものではありえない。社会契約の下にある人々は、共同社会にとっての善と悪についての共通の判断を形成することに合意しているのであり、立法とはこの共通の判断の別名である。社会の平和と安全は、この共通の判断を形成すべく努めることによってしか保証されえない。集団を形成する本能の欠如に起因する人間の政治的ディレンマは、善悪をめぐる共通の判断の形成によって解決されるのである。」
関曠野 『歴史の学び方について』窓社1997、p.81-82、より
* R.G.Collingwood, The Idea of History, 1946, Clarendon Press, Oxford.
Part II. The Influence of Christianity
R.G.コリングウッド 『歴史の観念』 紀伊国屋書店、1970年、小松茂夫・三浦修一共訳
第二部 キリスト教の影響
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コメント
少々異論があります。(毎日拝見しているわけではないのでコメントが遅れていることをご容赦ください)
人権批判を繰り返す保守派(の良質な部分)は人間の愚かさや矮小さを自覚しているからこそ事実認識(to be)にとどめおくべきであり価値認識(out to be)に踏み込むべきでない、という人間観のもとに言説を組み立てているのではないか。私が引用した長谷川三千子の部分もその文脈から理解できます。
renqingさんもよく引用されるバーリン(ポパー)の枠組みのアナロジーを使えば「消極的な自由」(反証)は定義できるが「積極的な自由」(証明)はいきつく先がない、従って限りある能力と理性の自覚しながら、慣習・法・ルールのもとで自らを律することが最善であるかどうかはわからないが次善である、という認識です。
私自身は人間は志向性を持った生き物であるという現象学的認識からザイン(存在)からゾルレン(当為)を語るべきであるという考えなので上記の思想には与しませんが、保守思想の枠組みとしては十分に納得できるものです。
ちなみに引用した長谷川三千子の本は、国家主義べったりからの民主主義批判ではなく自然権(自然法)思想にまで遡って、その原理を叩くという新書にしては手のこんだ構制になっており、全体の論旨にはまったく賛同しませんが、一読には値する書物だと思います。
掲示板ではないので、ほどほどにしときます。
実は現在展開されている「囚人のジレンマ」問題とからめて面白そうな問題も提起できそうですが、いずれまたコメントを書かせていただきます。
投稿: 岐阜無類堂 | 2006年3月 2日 (木) 07時44分