藤原正彦 『国家の品格』 新潮新書 2005年(2)
事実誤認を一つ。
p.57
例えば、「人を殺してはいけない」というのも、完全に真っ白ではありません。そもそも、死刑という制度があって、合法的殺人が認められている。
この記述は正確ではない。下記のサイトをご覧戴きたい。現在、196の国家がある中で、死刑存置国は、76カ国、法律上・事実上の死刑廃止国の合計、120カ国である。先進工業国で、死刑存置国は、日本、米国、韓国だけであり、そのうち韓国も国会で死刑廃止法が3回も上程され、死刑執行も10年近く執行していないので、近いうちに廃止国になるだろう。つまり、ブッシュ氏と小泉氏だけが、こまわり君よろしく(ウーン、古い)、「死刑!」で頑張っているわけだ。
ちなみに、日本と米国は欧州評議会のオブザーバー国であるが、死刑を廃止しないなら、オブザーバー資格を取り消す、と警告されている。欧州評議会のオブザーバー国で死刑が堂々とおこなわれているのが日米だけだからである。
殺人が文句なく悪いことなら、国家が人を殺す死刑も悪いわけで、遅々たるものではあっても、人類は少しずつ前へその歩を進めていると言ってよい。
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コメント
岐阜無類堂さん、どうも。私は「汝殺すなかれ」という自然法の観点から死刑廃止です。いっぽう、死刑執行ののち、被害者遺族が死刑が殺人被害の解決にならないと考え、死刑廃止を訴える方もいます。遺族の悲しみを本当に癒やすのは、加害者の心からの謝罪のみであり、加害者の死ではないと思います。
「付帯私訴」、これはよく分からないのですが、少し他所での議論を見ると、逆に被害者に不利になる可能性やら、金持ちの再犯をゆるす危険性も指摘されているようです。下記掲示板を参照して見て下さい。
民事裁判と刑事裁判の融合を目指す
http://www6.big.or.jp/~beyond/bbsnews/proxy/jurisp/1095916461/
中の、発言17番に、法曹関係者らしき人物の、読後感が、うまく問題を整理しているようです。
投稿: renqing | 2006年2月13日 (月) 01時56分
足踏堂さん どうも。
> すべて、そうした「筋の悪い」思考回路が垣間見られる気がして
確かに、この本は、おっしゃる通り。
> 良いところもあるようでしたら
この本に関しては、ゼロ。軽いエッセイを書いてるときは良かったような気がするのだが。私がアホだったのか?
投稿: renqing | 2006年2月13日 (月) 01時30分
この本は読んでいないのですが、題名だけから察するに某保守論客が多用する訳のわからない「国柄」と同じ臭いがします。
もうかなり前ですが、藤原氏は朝日新聞の夕刊にエッセイを連載していて「人口減を憂う世を憂う」「知的楽観主義のすすめ」など人と違った視点から実に鋭い文章を書いていただけに「ブルータスよ、お前もか!」と言いたくなります。
死刑廃止論議については、個人的には廃止論者ですが、決して人道的な見地から反対するわけではありません。
推理作家で弁護士でもある中嶋博行氏が提言している「付帯私訴」(民事と刑事の裁判をドッキングさせて被告に一生かけて償わせる)の復活にほぼ同意しますが、この議論についても一筋縄ではいかず、renqingさんのさらなる御意見やこの方面の書物への論及をお待ちしています。
投稿: 岐阜無類堂 | 2006年2月 7日 (火) 10時51分
事実誤認というのは、ありうべきであるし、多少は仕方がないことだと思います。
しかしながら、挙げられた例における「誤認」の仕方には大いに問題があるように思えます。
renqingさんは、旧いファンということで、若干申し上げ難いのですが、この人の著作には、すべて、そうした「筋の悪い」思考回路が垣間見られる気がしています。
まあ、年代の違いかもしれません(笑)
良いところもあるようでしたら、いずれご紹介下さい。
投稿: 足踏堂 | 2006年2月 7日 (火) 01時42分