ピーター・パン、あるいは大人になりたくない少年(1904)〔20190318追記〕
標題は、James Matthew Barrie が1904年に発表し、今でも世界中の少年少女たちに愛好されている、Peter Pan, or The Boy Who Would Not Grow Up という1904年初演の戯曲。
ピーター・パン*は実は、早世した赤ちゃんであり、そのため年をとらない。ネバーランドに住んでいる子供たちも同様だ。少し考えれば、悲しい子供たちの御霊(みたま)なのだ。
‘大人’と‘こども’。互いに永遠に交わることのない謎どうしなのだろうか。
* ピーターは、著者バリーの友人の息子の名に由来し、パンは、ギリシア神話に出てくる、半獣半神の、牧人と家畜の神の名から取られている。
〔20190318追記〕
ヒッチコック監督『レベッカ』の原作者、ダフネ・デュ・モーリアは、James Matthew Barrie と因縁浅からぬものがります。以下の弊記事をご参照ください。
ダフネ・デュ・モーリア Daphne du Maurier
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コメント
烏有亭さん コメントありがとうございます。「こども」が問題となるのは、「おとな」側の不安があるからではないかと思ったりもします。
投稿: renqing | 2006年3月24日 (金) 12時34分
足踏堂さん 「不思議の国のアリス」が落ち込んでいくウサギの穴は、母親の胎内だという解釈もあるようですが、どうなんでしょう。数学者 Charles Lutwidge Dodgson ( = Lewis Carrloll ) の生きた19世紀。この世紀に共通の問題があるかもしれません。
投稿: renqing | 2006年3月24日 (金) 12時27分
少し前からブログ興味深く拝見しております。「おとな」と「こども」の境界線はどこにあるのか難しいが面白い問題です。「おとな」の中の「こども」も厄介なもので、以前の「国家の品格」シリーズを読ませてもらって思ったのですが、「こども」の議論がどうして最近こんなに売れるのか困惑しております。
投稿: 烏有亭 | 2006年3月23日 (木) 00時19分
TBありがとうございます。
「大人」と「こども」は、私にとって大きなテーマです。
『星の王子さま』の冒頭部や、『孤独の発明』におけるポール・オースターの考察――特に「ピノキオ」へのものが素晴らしい――などに私は強く惹かれます。おっと、ルイス・キャロルなんかも外せませんね。
「こども」を考えることは、なかなか奥深い真理に結びつくように思います。
投稿: 足踏堂 | 2006年3月22日 (水) 21時34分