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2006年3月20日 (月)

山田慶児 『朱子の自然学』 岩波書店(1978年)

・・・。自然現象の認識のむずかしさは観測器械の製作のむずかしさにひとしい、といった意味のことばを十二世紀の思想家の口から聞くのは、やはり大きな驚きである。朱子が残した数多くの断片的なことばは、ひとりの独創的な自然学者がまぎれもなくそこに存在していたことを、わたしたちに証す。同時に、もしわたしたちが囚われのない心で朱子の思索のあとを、さらには同時代の科学者や思想家のそれをたどるならば、十一、十二世紀の宋代の中国において、すでに量的実験方法への自覚が成立していたのを、確認できるであろう。しかもそれは、要素還元論的自然観とはまるで無縁な土壌に、全体論的な思想の風土に成立していたのである。
山田慶児 『朱子の自然学』 岩波書店(1978年) 、p.2

 ここにおける《朱子像》は、下記の、若き丸山の類比が示唆する《朱子像》とはかなり異なる。

・・・。しかし、後期スコラ哲学がトマス主義に対して持った思想史的意味と儒教古学派乃至国学が朱子学に対して持ったそれとは看過すべからざる共通性を担っている。
丸山眞男 『日本政治思想史研究』 東京大学出版会(1952年) 、p.186

 上記における丸山の歴史認識の深層には、「宋は中世である」したがって、「朱子は中世知識人である」。だとすると、「西欧中世の諸学の大成者はトマス・アクイナスである」から、「朱子とトマスを比較する」、という連想が働いているように思う。しかし、宋代を人類史の中で位置づけるならば、初期近代=early modern ではないか。とすれば、試論的に類比するなら、《朱子⇔デカルト》こそが、より示唆的、思考誘発的であると思う。

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