communicability(伝わりうること)と vulnerability(傷つきうること)
人と人は、communicate 可能なのだろうか。
少なくとも、communicate を断念しない限り、communicate 可能なのだと思う。言い換えれば、 communicate
できないと思い、communicate
を断念したその瞬間から、その可能性(communicability)は閉じられてしまうことをそれは意味するだろう。そして、
communicability を担保するのは、たぶんvulnerability(傷つきうること)なのだ。
私たちは、自分でも知らないうちに他人(ひと)を傷つけてしまうことがある。それは人生において避け難い。ということは、
vulnerability
(傷つきうること)は、自分が他人から傷つけられる可能性とともに、他者を知らずに傷つけうることをも含んでしまう。「傷つき、傷つけあう」、その可能性
の中に、そうならざるを得ないかもしれないという想像力の中に、そして「傷ついた」とき、他者から慰めをうけたいと自分が感じることの中に、人と人との
communicability(伝達可能性、伝わりうること)の芽があると信じられるのではないか。
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