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2006年3月23日 (木)

‘痛い’話

 最近、私の周辺に‘痛い’人物が現れて、私を含むその周辺の人々のちょっとした話題になっている。で、話しているうちに一つの事に気がついた。私自身にも似たような事が頻々としてあるのだ。何のことはない、自分自身が‘痛い’人間だったらしい。

 この‘痛さ’は、本人は気がつかない。何しろ、周りの人たちを‘痛め’るだけだから。ということで、その‘痛い’事例をちょっと検証しようと思ったわけだ。いかにも、blogにふさわしい、日記的内容となりそうな予感。

エピソード1
 つい、一昨日、某駅前のロータリー近くに車を止めた。当然、パーキング・メーターが停止する19時以降だ。今日は近くに止められたな、とほくそ笑んでいた。で、そこから、ずるずると仕事を始め、午前様になり、あー、ダり~、と思っていたら、外で俄かに異変が。なんだ、何だ、とオフィスの窓から下をのぞくと、なんと真っ赤な消防自動車が眼下の道路を埋め尽くしているではないか。血の気が引いた。私が止めてある車はすぐ近くだ。そこはオフィスのビルとは少しずれたところのパーキング・メーターの路上の駐車スペース。そのため、肉眼で確認することができない。余計あせった。まさか、自分の車が炎上しているわけではないだろうな。そう考えるといてもたってもいられなくなり外に出て確認することにした。駆けつけてみると、すでに消防署員による通行規制が始まっていた。で私の車は・・・。あったぁ、ホッ。確かに私の車は炎上していなかったが、その真向かいのビルの三階が炎上していた。

 おお、煙が噴出し、現場で消防士がホースで放水している。火事など久しぶりの見物だ。どれ、とゆったりとした気分でいたが、すぐに大事なことに気がついた。ありゃ。これじゃ、仕事が終わっても帰れないじゃん。私の車のすぐ前に、組み立て式のデスクをひろげ、「現場指揮所」が作られている。そこで、恐る恐る、「これ私の車なので、どかしましょうか」と尋ねた。すると、そこの現場指揮の消防士が、「いいよ。第一、もう出せないでしょ」と、何を寝ぼけたことを言ってんだぁ?、という顔で私を見つめ返した。私は一瞬、クラっとなり、二の句が出ず、「はァ」と生返事をしただけで、すごすごと物見高いギャラリーの中に戻った。私の帰宅が、火事騒動が落着し、消防自動車がいなくなった朝方になったのは言うまでもない。

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