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2006年3月15日 (水)

希望

「明日の考察! これじつに我々が今日においてなすべき唯一である、そうしてまたすべてである。」

石川啄木
時代閉塞の現状 1910(明治43)年
(強権、純粋自然主義の最後および明日の考察) より。

 どれほど怪しげであっても、「希望」や「未来」がないよりましだ。小泉・藤原的気分は、このような、人々のある種の切実さから出ているものなのかも知れない。だとするなら、「希望」、「明日」を語れない限り、この人々を振り向かせることは不可能なのだろう。

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