« アンデルセン生誕200年 | トップページ | ‘痛い’話(2) »

2006年3月25日 (土)

親のスネ

 この文章、手元に資料のないまま、記憶で書いているので未定稿です。本日のネタが無いので、載せさせていただきます。逐次、確認できしだい、訂正します。すみません。

 Max Weber はブルジョアの長男として生まれました。ただ、父親との関係がよくなく、20代後半までの部屋住みの身が嫌で仕方無かったようです。親から経済的に独立するために判事補にもなったりしていますが、やはり、学問への熱意冷めず、大学に私講師として復帰します。当然、これは無給なので、マリアンネとの新所帯も父親の助けでなんとかなるわけで、鬱々としていたのですが、ちょうど30くらいの時に、母方の祖父から湖を望む屋敷、を含む莫大な遺産を継承できた。彼はいくつかの大学教授を歴任しますが、私の試算だと、精神疾患の発病で、本当に講壇に立てたのは、彼の大学教授歴30年弱のうち4年ほどです。ほとんどを病気療養と論文執筆ですごしています。彼が膨大な論文、原稿を残せたのも、その資産のおかげであることは間違いないところです。その才能だけでは無理だったでしょう。

 以上は、烏有亭さんのblogにコメントをしようとしたところ、失敗したので、記事としました。論調がヘンですが悪しからず。

|

« アンデルセン生誕200年 | トップページ | ‘痛い’話(2) »

西洋」カテゴリの記事

思想史(history of ideas)」カテゴリの記事

Max Weber」カテゴリの記事

コメント

加齢御飯さん 了解でーす。加齢御飯さんのHNをいちいち変換するのも面倒なので、この際だから登録しようと、単語登録のウィンドウを開けて入力したら、「登録済み」のメッセージが・・。よく考えたら、以前、単語登録したとき、「かれーらいす」でやってあったんですね、「かれいらいす」でなく。うーん、自分自身に対しても‘痛い’ヤツということを再認識してしまいましたー。(^^;

投稿: renqing | 2006年3月26日 (日) 23時52分

申し訳ありません。トラックバックをだぶって投稿してしまいました。ひとつは削除をお願いいたします。ブログの更新、毎日興味深く拝見しております。

投稿: 加齢御飯 | 2006年3月26日 (日) 23時36分

烏有亭さん  仏教学者の中村元は、あるインタビューで、「何を研究しているのかよくわかならない研究者がいること。その存在を許せること。それがその国の知的実力だ。」とかなんとか、言ってました。人文系については、例えば、西田龍雄氏の西夏文字の解読なんて、工学的な意味では何の「役」にも立ちはしませんが、人間の自己理解の意義は深い。今の日本の人文学を取り巻く状況が続けば、アジア地域の学問のメッカは、、「文」の国、中国に移行することは想像に難くありません。

投稿: renqing | 2006年3月26日 (日) 20時07分

猫屋さん  いえいえ、私も勘違いは日常茶飯。

 日本でも、ベトナム系社会学者や、ロシア系文学研究者、モンゴル系言語学者、などなどが活躍するようになれば、アカデミズムもだいぶj知的活性化するかもしれない、と想像したりもします。ただ、理工学系が優遇され、人文系の予算がばっさり切られているお寒い状況が続くようなら、才能と志のある若者は、太平洋のあちゃら側にいってしまうでしょうが。

投稿: renqing | 2006年3月26日 (日) 19時50分

烏有亭です。トラックバックありがとうございます。天賦の才は内在的で、相続された資産などは外在的なものとされ、一般に前者に対しては、人は寛容ですが、後者に対しては不公平感を抱き、嫉妬羨望を起こします。平等という見地から世代を超えた譲渡に際し、完全な再分配を主張する人もいますが、才能と資産というこの区別も厳密に考えるとかなり難しいものです。機会均等といいますが、皆が同じことをするわけでもありません。文化には大いなる無駄が必要なのですね。

投稿: 烏有亭 | 2006年3月25日 (土) 22時19分

レプリックありがとうございます。なんか飲みすぎでしょう、ケインズとヴィトゲンシュタインを取り違えていたような気もしますが、、薄学猫屋です。
あるいは、職人の時代になるかもしれません、ってな気もします。それと移民ね。大物であるかどうかは別として、フランスで活躍する哲学とか社会学の人の多くが、東欧や地中海向こう側からやって来たディアスポラというかノマッドな気がするわけね。科学系は逆にペイのよいアングロ・サクソン諸国に移民する傾向がありますが。。。

投稿: 猫屋 | 2006年3月25日 (土) 19時44分

どーも、どーも。猫屋さん、ご無沙汰してます。ベンヤミンは金持ちのユダヤ人家庭に生まれたようですが、ケインズはそうでもなくて、ま、一応、父親はケンブリッジ大学教授ですが、どちらかといえば中産階級でしょうか。ケインズ自身は、交際家、多趣味のため、物入りなので、自分で相場を張って、カネを稼ぎ、それで稀覯本を収集したり、ロシアのプリマ・バレリーナと付き合う金につぎ込んだりしてます。
 例の天才バカ本ではありませんが、「何の役にもたたないような教養」というのは、結局、働かなくても食べていける貴族や資産家しか身につけることができない代物なのですね。
 ヨーロッパでは、今でも、、上層中産階級や、貴族の系譜を引く「家」が社会の中に分厚くありますから、humanitiesを担えるのは結局のところ、そういう出自を持つ人々になるのだろうと思います。
 日本でも、バブル後、ウン十億の資産を持つ一群の人々が全国で、十万人ほどいるようなので、彼らが自らhumanitiesを担おうとするか、それともpatronageを発揮でもしてくれないと、この手の分野は悲惨なものとなりそうです。

投稿: renqing | 2006年3月25日 (土) 13時01分

ども、お久振りの猫屋です。
これも記憶で書いちゃいますが、Wペンヤミンとか英国経済学者ケインズとかも同類系だったかと。文学者の多くもそうでしたが、19世紀から20世紀初頭の大物のはやはりブルジョワ層がバックグラウンドにあった。それ以前も、ヴォルテールにしろ、もっと古くはミケランジェロとかダヴィンチも王宮お抱えだったわけで、とか思います。

では現代は?というとどうなんだか、なかなか難しいっすが。乱文失礼いたしました。では。

投稿: 猫屋 | 2006年3月25日 (土) 10時03分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 親のスネ:

» チョコレートともなか [ガラパゴス通信リターンズ]
 ぼくが骨髄移植の治療を終えて退院したのは99年の12月のことである。本屋に行くと『パラサイト・シングルの時代』という奇妙な名前の本が平積みになっていた。著者は社会学者の山田昌弘氏。同業者である。一躍時の人になるのだろう。「旭日昇天」ということばが浮かんだ。ついこの前まで「即日昇天」の恐怖におびえていたぼくとは何という違いであることか。しかし、こんなタイトルの本を出してよいのかと思ったのも事実である。... [続きを読む]

受信: 2006年3月26日 (日) 23時29分

« アンデルセン生誕200年 | トップページ | ‘痛い’話(2) »