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2006年5月22日 (月)

明治constitutionは近代主権国家であったか?(2)

《輔弼ほひつ
 輔弼とは、「大日本帝国憲法において,天皇の大権行使に誤りがないように意見を上げる行為」*、のことをいう。逆に言えば、もし、天皇の大権行使に誤りがあったら、その行為の結果についての、天皇に対する責任は、輔弼した国務大臣にある。禁裏様がブチ切れて、「お前の輔弼意見で、俺が間違えちゃったじゃないかよぉ。お前、クビ+俺の前に二度と姿を現すな!」って、怒髪天を衝くこともあるわけだ。つまり、輔弼と責任は完全にリンクしていて、輔弼していれば責任があるし、責任をとるからこそ輔弼されたら、禁裏様は(内心イヤでも)それを採用しないわけにはいかないことになる。

《輔弼機関》
 明治憲法上の輔弼機関は、国務大臣のみ。憲法外では、内大臣、宮内大臣もそう解されることがある*。

《帷幄上奏いあくじょうそう
 軍事に関する直接上奏のこと。直接上奏とは、天皇の補助機関 が、他者を経由せず、君主に決定を求めて意見を具申すること。一般に、君主制において、直接上奏権は最重要の権限となる。なぜなら、上奏の内容が、君主の 決定に重大な影響を及ぼすから**。このジョーカーのような行為、帷幄上奏が許されているのは、参謀本部長、海軍軍令部長、教育総監。ある種の詐欺行為***で可能となっていた、陸海軍大臣。直接上奏ができるのは、他に、国務大臣(憲法上の輔弼機関)、内大臣、宮内大臣(憲法外の輔弼機関)、枢密院、帝国議会、会計検査院(憲法上の補助機関)。

 さて、ここで不思議なのは、参謀本部(長)や海軍軍令部(長)が、統帥に関する補佐機関ではあっても、憲法上、責任を負う輔弼機関ではないことだ。つまり、天皇が軍隊を指揮する際の、参考意見を聞くスタッフに過ぎない。

 一方で、天皇は大元帥であって、軍隊への命令権者は天皇だけである。参謀本部長は、その命令を伝達するだけであり、それを受けて軍隊を実際に指揮するのは、各司令官である。

 天皇が大権を行使し、失敗したとき、天皇に対してその責めを負うのは、憲法上、輔弼機関である各国務大臣だ。その一方で、統帥の大権(=軍隊指揮権)については、憲法上の輔弼機関がないことになる。参謀本部(長)や海軍軍令部(長)がいるではないか、と問う者もいるだろう。しかし、彼らは、帷幄上奏ができるだけである。その上奏を採用するかどうかは天皇の胸先三寸であり、採用されたとしても、その結果に参謀本部(長)や海軍軍令部(長)が「法的に」責任を負う国制(constitution)になっていない。上奏しっぱなし、なわけだ。

 しかし、常識的に考えて、数十万オーダーの近代軍の指揮について、軍事専門家でもない普通の人間の1人に過ぎないであろう天皇に、その責任を負わせることが妥当なのだろうか。

 統帥権が天皇の権能に属し、それを輔弼する者がいないということは、統帥権行使については全面的に天皇個人がその責めを負う、ということである。 大日本帝国陸海軍の、連合国への負け戦(いくさ)は、天皇個人が責任をとらねばならないのだ。では、何についてか。その「負けた」ことによって台無しに なった「国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福」(憲法発布勅語)について。では、誰に対してか。皇祖皇宗、および、大日本帝国臣民に対して。それが「統帥権の国務大臣からの独立」がもたらす帰結である。

 私が〝負け犬〟の大日本帝国を批判するのは、民主的でなかったからだけではない。いや、それ以上に嫌なのは、人口8千万を擁し、近代軍と近代産業を曲がりなりにも建設していた国家が、まともな近代主権国家ではなかったからだ。あの小心翼翼たる昭和天皇(つまり、普通の人間)に負け戦(いくさ)の全責任を法的に負わせる国家がまともな国家か? 戦後日本は、それまでの主権者の責任さえも、結果的に不問に付してしまった(マッカーサーの横やりをよいことに)。主権者の罪を問えないのであれば、臣民が自らの責任を考えるわけがない。

*平凡社世界大百科事典「輔弼」の項。横田耕一筆
**三浦裕史『軍制講義案』信山社1996。p.43、注(2)。
***大江志乃夫『統帥権』有斐閣1983。p.37。「内閣職権」から「内閣官制」に切り替わる際、官報に布告された正式バージョンと法律全書等に掲載されたものが異なることに起因する。

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コメント

ミウラユウジさん、どうも。
 増補改訂版のご紹介ありがとうございました。貴blogの、「小沢中将免官問題」おもしろそうですね。私は、大江志乃夫『徴兵制』でしか知らないので、山県派の報復、ぐらいにしか思っていたのですが。もっと別の要素もあるのですか。どちらかで公表される事を期待してます。

投稿: renqing | 2007年2月 5日 (月) 01時26分

拙著『軍制講義案』の増補改訂版として、『近代日本軍制概説』を2003年に出しておりますので、お知らせします。

投稿: ミウラユウジ | 2007年1月30日 (火) 21時17分

足踏堂さん、どうも。
 なんのかんのいっても、丸山真男はよい文章を書きます。この『日本の思想』中の、「日本の思想」も、この箇所を含め、ダイナミックな名文です。
 結局、天皇を玉として権力を簒奪した、明治建国の父たちは、天皇を騙って国民をあざむき、自分たちの恣意的権力行使を正当化してきた、といえるでしょう。

投稿: renqing | 2006年5月30日 (火) 05時32分

そうですね。そもそも明治Constitutionは近代主権国家ではなかったんですよね。はっきり言って、あんな曖昧な憲法構造では、昭和天皇の無理やり擁護もできますね。renqingさんの問い方(問題設定)は流石です。

以下、丸山真男『日本の思想』の超有名な箇所を引用(勝手に長いのをすいません)。

【明治憲法において「殆ど他の諸国の憲法には類例を見ない」大権中心主義(美濃部達吉の言葉)や皇室自立主義をとりながら、というよりも、まさにそれ故に、元老・重臣など《超》憲法的存在の媒介によらないでは国家意思が一元化されないような体制がつくられたことも、決断主体(責任の帰属)を明確化することを避け、「もちつもたれつ」の曖昧な行為連関(神輿担ぎに象徴される!)を好む行動様式が冥々に作用している。「輔弼」とはつまるところ、政治の唯一の正統性の源泉である天皇の意思を《推しはかる》と同時に天皇への助言を通じてその意思に具体的内容を《与える》ことにほかならない。さきにのべた《無限》責任のきびしい倫理は、このメカニズムにおいては巨大な《無責任》への転落の可能性をつねに内包している。】

投稿: 足踏堂 | 2006年5月30日 (火) 00時40分

美濃森米八さん、どうも。

>軍部がそこまで逸脱して天皇の意に逆らう萌芽になるような事柄がひとつでもあったのだろうか?この方面、勉強不足なのでrenqingさんが知っている事象があれば教えてください。

 うーん、わかんないですね。明治・大正時代は、明治の元勲が生きていましたから、ほぼ、政府、軍の決定に、天皇はイエスマンだったんではないでしょうか。それに比べると、逆に、昭和天皇は、軍の「戦争やりたい」に、積極的に乗っていたような印象があります。

 天皇が現実政治にどの程度加担していたのかは、下記のようなものを読んでみないと、明確なことは言えませんが。

天皇の政治史―睦仁・嘉仁・裕仁の時代 AOKI LIBRARY―日本の歴史 近代
安田 浩 (著)
286 p、 青木書店 ; ISBN: 425098012X ; (1998/05)

>2・26事件でのふるまい、また1945年8月15日の前後で一貫して立憲君主として毅然と振舞ったと理解できなくもない。

 大日本国憲法には主権は天皇にあると明記されています。かつ、統帥に関しては、憲法上の輔弼者はいない(として)昭和天皇は振る舞い、あまつさえ積極的なところさえあった。となれば、敗戦についての戦争指導上の最高責任者であり、大日本帝国の主権者として、(大日本帝国臣民への責任を頬っかむりするとしても)連合国に対して、大日本帝国を代表して責任を取らざるをえなかったはずです。法的に。にもかかわらず、天皇・マッカーサー会談で何を約束したかは分かりませんが(どうも、極東軍事裁判での訴追免除と独立後の米軍駐留を取引した模様)、「そういう文学的綾についてはわかりません。」としらを切り通した、人間としての責任感(道義的、法的)のなさが、私には気になって仕方ありませんでしたが。

投稿: renqing | 2006年5月29日 (月) 03時16分

評論家三氏による大部の本「天皇の戦争責任」の中で一貫して昭和天皇に戦争責任はない、とする橋爪大三郎の論拠は「統帥権の独立」という点に関わっています。指揮系統の頂点にたつ統帥権は、行政権から独立して内閣や議会からも独立している。つまりシヴィリアンによるコントロールが利かず、しかも統帥権者たる天皇には軍に対する命令権はなく、軍が天皇の名を借りて、内閣・政府のコントロールをはねのけ、独自の組織としてふるまう権限があった。上奏される意見は必ず裁可する他はなく拒否権(ベトー)はなかった。よくある「天皇は軍部のロボットに過ぎなかった」という免罪論です。
もちろんこんな議論はナンセンスにすぎませんが、私の知り合いの右翼氏によれば、天皇がベトーを行使すれば軍部に暗殺されていただろうと言う。
軍部がそこまで逸脱して天皇の意に逆らう萌芽になるような事柄がひとつでもあったのだろうか?この方面、勉強不足なのでrenquingさんが知っている事象があれば教えてください。

>あの小心翼翼たる昭和天皇
これはどうだろうか。2・26事件でのふるまい、また1945年8月15日の前後で一貫して立憲君主として毅然と振舞ったと理解できなくもない(そのことを肯定的に評価するつもりは毛頭ないが)。
前出の橋爪の議論では日本国憲法には天皇退位の条項がなかったから謝罪も退位もしなかった、という話になる。逆説的だが旧憲法で「天皇大権」は超法規的条項であるという言い草ほど
裕仁天皇の意に逆らった見方はないであろう。
天皇の退位、および天皇制の廃止を盛り込んだ改憲はぜひとも実現しなければならない。従って私は断固たる改憲論者です。

投稿: 美濃森米八 | 2006年5月27日 (土) 11時47分

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