立憲主義(constitutionalism)をめぐって
立憲主義(constitutionalism)について、少し考えてみたい。
■立憲主義とは?
まず、手許にある資料から。
樋口陽一
「政治権力の恣意的支配に対抗し,権力を制限しようとする原理」
平凡社世界大百科事典1998より、「立憲主義」の項
長谷部恭男
「立憲主義ということばには、広狭二通りの意味がある。本書で「立憲主義」ということばが使われるときに言及されているのは、 このうちの狭い意味の立憲主義である。広義の立憲主義とは、政治権力あるいは国家権力を制限する思想あるいは仕組みを一般的に指す。「人の支配」ではなく 「法の支配」という考え方は広義の立憲主義に含まれる。古代ギリシャや中世ヨーロッパにも立憲主義があったといわれる際に言及されるのも広義の立憲主義である。
他方、狭義では、立憲主義は、近代国家の権力を制約する思想あるいは仕組みを指す。この意味の立憲主義は近代立憲主義ともいわれ、私的・ 社会的領域と公的・政治的領域との区分を前提として、個人の自由と公共的な政治の審議と決定とを両立させようとする考え方と密接に結びつく。二つの領域の区分は、古代や中世のヨーロッパでは知られていなかったものである。
近代以降の立憲主義とそれ以前の立憲主義との間には大きな断絶がある。近代立憲主義は、価値観・世界観の多元性を前提とし、さまざまな価値観・世界観を抱く人々の公平な共存をはかることを目的とする。それ以前の立憲主義は、価値観・世界観の多元性を前提としていない。むしろ、人として正しい生き方はただ一つ、教会の教えるそれに決まっているという前提をとっていた。正しい価値観・世界観が決まっている以上、公と私を区別する必要もなければ、信仰の自由や思想の自由を認める必要もない。
さらに、近代国家は、各人にその属する身分や団体ごとに異なった特権と義務を割り当てていた封建的な身分制秩序を破壊し、政治権力を主権者に集中するとともに、その対極に平等な個人を析出することで誕生した。人々の社会生活を規律する法を定立し、変更する排他的な権限が主権者の手に握られた以上、社会内部の伝統的な慣習法に依存する中世立憲主義はもはや国家権力を制約する役割を果たしえない。近代国家成立後になお意味を持つ立憲主義は、その意味でも、国家権力を外側から制約する狭義の立憲主義、つまり近代立憲主義に限られる。」
『憲法とは何か』岩波新書2006、p.68-70
C.H.マクヮルワイン(C.H.McIlwain)
「私は、この初期の、余り自覚的でない段階をもっと詳細に論じなければならない。しかしそうする前に、歴史的論究を通じて明らかにされる所ではあるが、全ての段階を通じて、立憲主義が一つの本質的性格を有していることを、換言すれば、立憲主義とは統治権に対する法的制限であり、恣意的支配のアンチテーゼであり、又専制政治、即ち法による統治ではなく意志による支配が、正に立憲政治とは反対概念であることを、前もって指摘して置いてもよいであろう。近代に於いては、国家の政策の自由裁量事項に於ける人民の代表の発議権の確立によって、これに政治的責任ということが加わった。しかしこれは比較的最近のことであるに過ぎない。しかし、立憲主義の最古の、又最も恒久的な特質は、法による統治権の制限であり、このことは、初めから現在まで変わることがない。「憲法的諸制約」は、我々の立憲主義の最も重要な要素ではないとしても、最古の要素であ る。」
『立憲主義 その成立過程』森岡敬一郎訳、慶應通信1966、p.29-30 (C.H.McIlwain, Constitutionalism, Ancient and Modern, Cornell UP, 1947)
関曠野
「ユダヤ教に少々深入りしてしまったが、最後に近代の立憲議会制国家の論理にはカルヴィニズムを介したユダヤ教の影響なしには考え られない要素があることを指摘しておきたい。例えば、国家権力は支配者によって恣意的に行使されてはならず、市民社会によって正当と承認された法に即してのみ行使されるべき、とする立憲主義の原理である。立憲主義の起源は、王に対しあくまで神の僕としてモーセの法に服従することを要求した古代イスラエルの予言者にある。欧米の政治学者や歴史家でさえこの立憲主義の起源を古代のギリシャやローマ共和制に求めている例が多いのだが、共同体の存続と繁栄を至上の 価値としたギリシャやローマには、個人の自由という観点から国家権力の統治範囲を明示的に制限するという思想はなかった。そして近代的な議会の論理も、予言者の伝統に関係がある。身分制等族会議の遺制である中世ヨーロッパの議会は、貴族層の特権を代弁する制度に過ぎず、それは戦争や課税についての王の決定を妨害することはあっても、自由な討論による真実の追求に従事することはなかった。その一方で神と盟約したイスラエル国家においては、いかなる人間でも偶然に神に選ばれ予言者という-往々にして苦悩にみちた-神の正義の代弁者となることができた。予言者は孤独だったが、権力者は彼らを迫害し口を封じること ができなかった。」
『歴史の学び方について』窓社1997、p.102-103
引用が長くなり過ぎた。そろそろ、次週へ先送りすることにする。ただ、やはり、以下のことは言うべきだろう。立憲主義の核心には、現にこの世に在 し、また、人間にとって必要でもある《権力》なるものは、その行使が人々によって正当と認められた《法》によって律せらたものでなければならない、という 《法の支配》がある、ということ、これである。次週は、これらと、バーリンの《自由》の概念を結びつけることを試みる(予定)。
※下記も参照を乞う。
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コメント
どーも。イギリスと日本の官僚制の違いについて。「法の支配」の視点からみると、これは、その養成過程における教育の違い、というより、議会の権威(or 主権)の確立の違い、と考えたほうがよいと思います。なんといっても、イギリス下院は、そのconstitution上、無制限の権力を持っています。また、その権威を、名誉革命から3百年ほどかけて確立しています。それくらべ、日本の国会は、constitution上、国権の最高機関とはされてますが、誰も、この議会や議員の権威を、その選挙民でさえ、認めてないように思います。立法機関が国民から国家最大の権威の正統性legitimacyを得ていない。これが、両国の官僚の振る舞いの違いとなって現れていると私は考えます。
投稿: renqing | 2006年7月 9日 (日) 23時32分
>東大とオックスブリッジの差ということにもなるのだろうか、とちらと思いました。
さらに遡ると、灘・開成とイートン校の差でもあるでしょうね。旧制高校もですが、エリートに品位なり節制を仕込むことにはあんまり成功してないように思います。
投稿: まつもと | 2006年7月 9日 (日) 09時42分
「やはりこれは君臨?すれど統治しない王の違いというより、両国の官僚制の違いに発するのであろうと思います」。
なるほど。そのとおりだと思います。そうするとこれは、それぞれの官僚の輩出基盤である、東大とオックスブリッジの差ということにもなるのだろうか、とちらと思いました。
投稿: 加齢御飯 | 2006年7月 9日 (日) 09時06分
下の加齢御飯さんに茶番のようなコメントですが、やはりこれは君臨?すれど統治しない王の違いというより、両国の官僚制の違いに発するのであろうと思います。
イギリス官僚は「法の支配」に服し、あくまで議会に従属する立憲政治の黒子であるのに対し、日本の官僚には「法を支配」せんとする意気込みを感じます。
投稿: まつもと | 2006年7月 7日 (金) 03時39分
いつも興味深く拝読しております。文章の趣旨との関連はうすいかもしれませんが、「立憲」つながりということでお許しください。戦後日本の象徴天皇制は、イギリスをモデルにしているという話ですが、どうも似ても似つかぬもののような気がしてなりません。
投稿: 加齢御飯 | 2006年6月17日 (土) 08時26分
お名前が見当たらないので、何とお呼びしてよいか迷うのですが、なんにしましてもコメントありがとうございます。
えーッと、事は、初期近代の西洋政治思想史の肝(きも)にあたる部分ですので、あんまり気軽にお答えするのもどうかと思いまして、とりあえず、従来のオーソドクスな学説を述べ、それに対して関氏の議論がどう違うかを、記事化することに、意を決しました(^^;。
大変恐縮ですが、今度の日曜日の夜中までお待ちください。前回のバーリン論が腰砕けで一部で不評を買ってしまい、反省 (-_- しておりますので、次回はせめて読みがいのあるものを書くゾ、と不退転の気持ちで臨む所存です(恐らく)。また、そちらの記事にコメントなど付けて戴ければ幸いです。
投稿: renqing | 2006年6月 8日 (木) 01時48分
いつも楽しく拝見しております。知的刺激を大いに受けております。この立憲主義についての考察も、次号を楽しみにしております。ところで、御存知であれば教えていただきたいのですが、関氏がいうところの「立憲主義の源流はユダヤ教である」、これはあくまでユダヤ教ということであって、キリスト教ではないということでしょうか?すなわち、「預言者」なるものが登場するのは旧約聖書であって、新約聖書ではないということでしょうか?高校の世界史の説明では、近代立憲主義が登場するあたりは、キリスト教宗教権力と近代国家の相克のなかで、世俗権力が確立し、「公-私の分離」が確定するというものだったので、この立憲主義成立のバイブルは新約聖書だとばかり思っておりました。御教示賜りますれば幸いです。
投稿: | 2006年6月 6日 (火) 09時39分