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2006年5月 1日 (月)

明治「憲法」の起源(2)

 前回、岩波書店『日本近代思想大系』「9.憲法構想」(1989年)中、p.10に、

根本律法。今日の憲法のこと。加藤はのち明治元年刊の「立憲政体略」でも、一般の法律を「憲法」、今日の憲法を「大憲法」「国憲」と呼んでいるが、最高法規としての「憲法」の呼称が一般に定着するのは明治十年代半ば以降のこと

と頭註がされている旨、述べた。

 同書p.438に、「大日本帝国憲法以前の憲法構想」なる、66個のリストがあり、そこに標題として〝憲法〟を掲げているものは、32個ある。最初期のものは、

 竹下弥平「憲法意見」明治八年二月一日

とある。逆に、憲法案にもかかわらず、〝憲法〟なる標題を持たないものの最後は、

 不明「日本帝国国憲ノ草案」明治十六年七月以前

となっている。

 そこで、年代順に、〝憲法〟なるものを数えてみよう。

明治 8年  1
明治12年  2
明治13年  4
明治14年 16
明治15年  3
明治16年  3
明治19年  2
明治20年  1

 明治14年が突出している。これは、自由民権運動中のいわゆる「国会開設運動」の最高潮期が明治13年(1880)なので、その高揚を受けて、全国的にドッと出たものと一応推測可能だろう。

 ただ、一方で、〝憲法〟を言葉の面から探ると、こういうデータもある。

 J.C.ヘボン(J.C.HEPBURN)著「和英語林集成」第三版 明治19年(1886)

 上記の書から、〝憲法〟→ KENPO, KENPOU を拾うと、実はこれが見つからないのだ。ついでに言えば、〝権利〟→KENRI は、「 n. Natural rights ; prerogative 」とある。では、逆に、constitution から引くと、

〝constitution〟→「 Seishitsu, kumitate, jintai, sho, sho-ai, seitai, seiji ; horitsu, okite 」

となる。

 そうすると、明治十年代後半になっても、constitution の訳語として、もしくは、人口に膾炙するものとしては、まだ〝憲法〟は定着していないことは言えそうだ。それよりも、constitution の概念なるもの、そのものが、一般庶民に全く理解不可能な代物であった可能性も否定できない。

 もう少し資料を検討してみたいが、この続きは次回へ。

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