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2006年5月30日 (火)

フロンガス問題と知識理論

 フロンガス問題と知識理論(または認識論)にいかなる関連があるのか。これが多いに関連あり、と私は見ています。

 フロンガスは、無色、無臭、無毒、で実験室レベルでは理想的な、媒質(大体は冷媒)でした。事実本当にそうだった訳です。「これはいいや」と言って、世界中で使われるのですが、ところが、大気中に放出された塩素化合物であるフロンが紫外線を受けて塩素を発生させ、その塩素がO3 からOを一つ奪い取る、というメカニズムで、オゾン(O3)層が破壊されてしまいました。

 この因果関係の経路は、1970年代はじめ頃、米国の科学者によって指摘されました。
さて、この問題をどう考えればよいのか。

 古来から、知識は「発見」されるもの、として表象されてきました。例えば、ニュートンは、りんごが落下するのに月が落下しないの何故か、と問い、万有引力の法則を〈発見〉した、という神話で語られてきました。

 ところが、フロンガス→オゾン層の破壊、という事実は、人間が好きでフロンを発明し、誰もがよいものとして喜び、世界中で大量に使われるに及んで、新たに人間世界へ〈登場〉してきたものです。つまり、〈発見〉というより、新しい事態と知識を〈発明〉した訳です、人類全体としては。自作自演、マッチ・ポンプ、と言ってもいい。

 社会科学において、ハイエク(やヒューム)の知識理論は、どちらかと言うと〈発見〉的ニュアンスで、シュンペーターやミーゼスは〈発明〉的ニュアンスで新知識獲得過程を語ります。ハイエクは知識の「宝さがしモデル」、シュンペーターは知識の「創作モデル」という感じです。

 複雑系の社会科学は、〈人間社会〉において、人間行動の帰結にも関わらず事前に予知できない眼前に現れる現象に人間がどう対応しているのか、それはどのような知識獲得プロセスなのか、をも扱う学問です。従って大いにこのような、〈発見〉的知識と〈発明〉的知識、の差異に関心を持たざるを得ないことになります。新しい知識理論を考える糸口になればと思います。

*数年前に書いたものを、ちょっと引っ張り出してきました。そのため語調がヘンなのは、ご容赦を願います。

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