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2006年5月 8日 (月)

福沢諭吉の光と影(2)*

 事の成り行きで、平山洋『福澤諭吉の真実』文春新書(2004)は、一応、読まにゃマズイかなと思い、なんとか読了した。

 感想を述べよう。

1)文献学的に、これまでに特に問題とされていなかった(?)「時事新報」社説に、正面から資料批判のメスを入れたことは特筆評価できる。誰も気乗りしない作業に先鞭をつけたのは立派だと思う。

2)上記の知見を踏まえ、既存の三種類、福澤諭吉全集成立のプロセスにも資料批判を加えて、著者の新仮説を提示したことは、思想史研究の大前提である文献批判に大いに貢献しよう。

3)ただし、この書が、福澤諭吉思想の新境地を切り開き、従来にない新しい福澤像を提示し得ているか、疑問なしとしない。

4)著者の貢献は、新しい(真実の?)福澤像の再構成のための前提作業の部分である。著者は、自らの業績を踏まえて、少なくとも、著者のいう、カテゴリーⅠの無署名「時事新報」社説と、福澤筆が明らかな文献に基づき、自説を説得的に展開する必要があろう。まだ、決着はつけられていない、と考える。**

5)ただ、著者の指摘する、1892年以降の「時事新報」における石河幹明筆社説に対する、福澤の黙認は、福澤の言論人、思想家としての矜持や志節について、いささかの懸念を呼び起こす。

6)なぜなら、福澤はその『福翁自伝』で、
「新聞紙の発売数が多かろうと少なかろうと他人の世話になろうと思わず、この事を起すも自力なれば倒すも自力なり、仮令い失敗して廃刊しても一身一家の生計を変ずるに非ず、又自分の不名誉とも思わず、起すと同時に倒すの覚悟を以て、世間の風潮に頓着なしに今日までも首尾能く遣て来た、云々」
p.389 慶應義塾大学出版会版著作集第12巻(2003年)
と、発言している。これを信ずるなら、己の信条、思想と根本的に異なる主筆の馘首・交代を、出来の悪い倅の社長就任と交換条件にするというのは、日本近代史上、最大の思想家福澤をしてあまりにもその像を矮小化するものではないか、と思える。いったい、そんな事があり得るのか? 福澤も単なる人の親に過ぎないのだろうか。

 以上が、私のざっとした、読後感である。福澤の真筆社説「脱亜論」については、もうエネルギーが残ってないので、後日、別記事を書くつもり。

*本日は、《明治「憲法」の起源(3)》を記事化する予定だったのですが、土曜日に書いた記事のからみで、急遽、その続きを書くことにしました。この記事を読みに来て戴いた方、どうも、すみません。m(_ _)m

**福澤の明治前期国体論への貢献に関して、下記を参照。
日本における文明開化論――福沢諭吉と中江兆民を中心に
米原 謙(大阪大学)2003.3.29 ソウル

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コメント

平山 洋 様 コメント、ありがとうございます。

 いずれにしても、私自身、福沢の著作をほとんど読んでいないに等しい。その極小の知見に基づいて、福沢を云々すること実は出来ない。ま、そうすべきではない、といったほうが正確でしょうか。福沢そのものについての私自身の評価はいま少し保留します。

 ただ、私の関心は福沢個人にはありません。私にとっては、福沢がいい奴だろうが、悪い奴だろうが、実はどうでもよいのです。私の関心は、1点です。《なにゆえ、日本人は1945年の廃墟を迎えざるを得なかったのか。》これに尽きます。私は、自分の身内に、日本海軍の特攻隊で死にかけた人間がいます。また、身内の一人を米軍の火炎放射器で焼き殺されています。そして、多くの日本人と、それより多くの、日本周辺の国々の人たちが、大日本帝国陸海軍によって殺されたり、死んだりしています。

 なんで、こんなことが起きたのか。私は知りたい。敗戦を迎えた国家は、天皇を元首とする明治憲法を戴いた、大日本帝国でした。それは紛うかたなく、明治維新において創出され、明治によって育まれた〝近代〟国家です。

 私の問題関心からいえば、この明治製の国家の出来上がり具合に、福沢が思想家としていかに関わったのか。その次元で関心があります。思想家として positive に加担したのか。もしそうなら、どう positive 関わったのか。それとも、 negative に関わったのか。もし、そうなら、どう negative に関わり、なぜ、その negative さは、alternativeな1945年を生み出す力になり得なかったのか。もしくは、どういう要素が結びつけば、alternative として、現実に力を得たのだろうか。これです。

 ですから、明治国家とその誕生、working における、福沢の役回りをトータルに知りたい、と考えています。

 平山様の御著書は、賞賛に値する、勇気あるお仕事だとは思います。しかし、一瞥した限りでは、上記の私の問題関心とは少々ズレているように思いました。私としては、福沢が市民的自由主義者で一向に構わないのです。日本近代最大の思想家である、市民的自由主義者福沢。ならば、最大の思想家の市民的自由主義が、なぜ、どのように、明治国家を1945年に向かわせないように、影響を与えることができなかったのか。または、あとどのような要素と結びつけば、あれほど多くの人死にを、避ける方向にこの国家を変えることが出来たのだろうか。その可能性と不可能性を見極めたいのです。

 平山様の今後のお仕事が、私の個人的疑問氷解に結びつくものであれば、さらに読ませて戴きたく思います。

投稿: renqing | 2006年5月11日 (木) 04時39分

『福沢諭吉の真実』の作者です。拙著を話題としていただきありがとうございます。

 自著についての見解は、昨年秋の中西B氏、及び最近の古井戸氏との対話ですでに言い尽くしてしまいましたので、ここでは差し控えたいと思います。

 なお、「脱亜論」その他福沢諭吉関連の情報として、以下のHPをご参照いただければ幸いです。古井戸氏との対話も整理されております。

http://blechmusik.xrea.jp/labs/fukuzawa/

投稿: 平山 洋 | 2006年5月 9日 (火) 16時00分

>>食うために書く、といった面は避けて通れなかったのではないか
>でもね、実業界に太い人脈を持っていて、いざ御大出動で協力を募れば、「時事新報」を「自力」で「倒」し(=会社清算用の資金を集めた上で潰す)、従業員たちのその後の就職の世話くらいは、福沢の盛名をもってすれば、可能だったんではないでしょうか?

renqingさん、どうも。別に福沢の肩を持つつもりも毛頭ない(しつこいな)のですが、周りや後世から見て、潰すべき時宜を得て会社や政党(・・・)や組織を潰せた人、自分の潮時を心得ていた人もあんまりいないような気がします。福沢はそんなに出来た人だったのかな(思想家は自分の思想を実践できないほうが普通、とも思えるし)。体力も要りますしね。とくに歳取るほど(福沢のばあい50代)難しくなるんじゃないかなあ。そうこうしている間に脳卒中で倒れてしまい機会を逸したのでは、とかいうと言い過ぎでしょうか。

 福沢の事大主義について考えてみると、けっきょく明治体制ないし東京時代そのものが、「事大主義に基づいた近代化」ではなかったか、と振りかぶってみたくなりますね。東京時代日本の針路のブレは、「民主主義と軍国主義」の間なんかで揺れていたのではなかった。

経済力=X軸
軍事力=Y軸

 の間で一見揺れているけれども、じつは

勢力=Z軸

 の方向には一直線に突き進んできたのではないか、という気がします。法とか権利はそれらの関数ではあっても軸にはならなかったような。

>>上垣外憲一「暗殺・伊藤博文」(ちくま新書)
>面白そうですね。少なくとも、伊藤がいなくなることの最大の受益者は山県有朋と陸軍です。

 本のご教示、ありがとうございます。上の本の内容に少し触れておくと、著者は、伊藤暗殺に対する反応や伊藤と同じ日露協商への肩入れ、日露開戦への消極姿勢などから、山県はシロだと考えています。著者がホシと睨んでいるのは桂太郎、寺内正毅、明石元二郎、それから玄洋社といった「山県チルドレン」の世代の方で、説得力のある推論をしていると思います。

 あまり注目されませんが、たしかにあの世代は創業者の苦労も知らない上に藩閥に過保護され、痛い目にも遭わなかった「危険な子どもたち」であるように思います。

投稿: まつもと | 2006年5月 9日 (火) 09時45分

まつもとさん
>食うために書く、といった面は避けて通れなかったのではないか
でもね、実業界に太い人脈を持っていて、いざ御大出動で協力を募れば、「時事新報」を「自力」で「倒」し(=会社清算用の資金を集めた上で潰す)、従業員たちのその後の就職の世話くらいは、福沢の盛名をもってすれば、可能だったんではないでしょうか? 不出来の倅の就職の世話だって、無論可能だったでしょう。現に、有能な記者達は、スピンオフして各界へ進出しています。むしろ、喰うために時事新報を経営していたというより、時事新報の経営そのものが福沢には経済的に重荷だったと思います。だから、自らの志と異なることに忸怩たるものがあり、腹を括れば、潰せたと私は考えます。それは彼の美学でもある出処進退をわきまえることにも叶うことです。決して彼の生涯に汚名を残すことにはならなかったと思います。

>方向を変えた事大主義
これは至言です。私も使わせて貰いますね。ただ、この事大主義といい、勢力あるものにつくことといい、正に、究極的に対立せざるを得ない、《法》 v.s. 《力》の選択において、19世紀後半のpower politics の現実から、「万国公法」をプラグマティックに見限った福澤の、法=正義からの離反が見て取れるのではないでしょうか。そこに、苦渋の選択がない、という点では、蘇峰の「機会主義」と同質なものを私は見ます。そして、これは、福沢や蘇峰だけの問題ではなく、21世紀の今においても、国際関係とは究極、力関係である、という、日本国の外交原理に遺伝されていると思います。

>上垣外憲一「暗殺・伊藤博文」(ちくま新書)
面白そうですね。少なくとも、伊藤がいなくなることの最大の受益者は山県有朋と陸軍です。当時、伊藤と山県の間で一触即発だったのは、大陸膨張主義云々とか、韓国に〝優しい〟統治云々、などという間抜けなイッシューではなく、伊藤による、韓国統監の韓国駐留軍の指揮権掌握でした。これを明治天皇親裁で押し通した伊藤を山県は心底から怒り、憎んだでしょう。殺意を抱いても不思議ではありません。伊藤暗殺に山県が噛んでいるという推測は極めて合理的なものと言えます。この辺のことは、新しい記事で再論しましょう。
秦邦彦「統帥権と帝国陸海軍の時代」平凡社新書2006年
も参考になります。

投稿: renqing | 2006年5月 9日 (火) 04時06分

 福沢の思想を支持するにせよ批判するにせよ、これまで一貫した説明のできなかった福沢の「変節」が説明の付く範囲には納まってくるのではないでしょうか。明確な問題設定を可能にした点では、たいへん意味のある本だと思います。(それに関連して、かねがね不思議に思っているのは、「コレコレの面を考察していないのが惜しまれる」「コレコレに議論が留まっているのは残念だ」といった批評です。じゃあ後はお前の仕事だよ、惜しいんだったら自分で調べて書けよ、と言いたくなります)

 これは「福翁自伝」を読んでから書くべきことでしょうが、明治10年までにほとんどのベストセラーを出し終え、明治14年政変で政府から袖にされた後の福沢の立場の重心は、教師兼思想家から政治家兼新聞社社長にシフトしていたのではないでしょうか(だからといって思想的責任は免責されないにしても、食うために書く、といった面は避けて通れなかったのではないか)。

 私が「脱亜論」から感じるのは法の問題よりも、国家と一体になって文明開化・富国強兵に邁進する「文明国民」やその「勢力」(高田保馬を森島通夫から孫引き)への信仰です。方向を変えた事大主義だな、と思うのはそういう理由からです。まさにそれは東京時代(明治以降を総称して)の日本の方向であったし、「アメリカがそうだから」という議論が相変わらず妙な説得力を持ってしまう現在も変わってないなと思います。

 あと「福沢諭吉の真実」ほど話題になってないようですが、上垣外憲一「暗殺・伊藤博文」(ちくま新書)も同じ時代に新しい光を当てた点で、勉強になる本でした。

投稿: まつもと | 2006年5月 8日 (月) 16時55分

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