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2006年6月26日 (月)

ISAIAH BERLIN, TWO CONCEPTS OF LIBERTY (1958)*

前回の続き

 結論からいうと、この論文は失敗だったと思う。自由概念を結果的に矮小化してしまった。本来は、この講演の5年前に行われた、HISTORICAL INEVITABILITY(「歴史の必然性」)の発展形として発表すべきものだったと考える。

 で、この論文には、FOUR ESSAYS ON LIBERTY(OxfordUP)、『自由論』(みすず書房)のどちらの版にも目次がついていない。でも、この論文、比較的長い。目次があったほうがこの論文に対する概観を得やすいので、世界初(?-?)かどうか知らないが、バーリンの章立て、およびその見出しを記録しておこう。

TWO CONCEPTS OF LIBERTY
 I    The notion of 'negative' freedom
  II   The notion of 'positive' freedom
  III  The retreat to the inner citadel
  IV   Self-realization
  V    The Temple of Sarastro
  VI   The search for status
  VII  Liberty and sovereignty
  VIII The one and the many

 実は、II 以下すべて、「積極的自由」に関するものであり、つまるところ「それを自由っていうのはおかしくない?」という議論となっている。それと関連させて、諸価値(諸目的)が究極的には両立し得ない可能性を主張している。

 長谷部恭男は、近代憲法は私生活の範囲と公的権威の範囲(the area of private life and that of public authority)に境界線(frontier)を設ける工夫なのだ、という含意をこの論文から導出するらしい。

 でも、どうせ踏まえるなら、この論文の最終部にある、

「自己の確信の正当性の相対的なものであることを自覚し、しかもひるむことなくその信念を表明すること、これこそが文明人を野蛮人から区別する点である。」
‘To realize the relative validity of one's convictions and yet stand for for them unflinchngly, is what distinguishes a civlised man from a barbarian.’

にした方が良かったかもね。こちらこそが、「歴史の必然性」を念頭においたより深い自由概念につながるものだから。

 次回へ。

*アイザィア・バーリン『自由論』みすず書房(1979)中の「二つの自由概念」の部分。

**サッカーWC、イングランドvs.エクアドルをチラ見してしまいました(-_-;。

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