責任内閣制の起源について一言
これは民主主義史の必然的発展というより、イギリス政治史という特定の国の特殊な経緯に起源を持つということが出来る。
事は、いわゆるイギリス下院内のトーリーとホイッグの政治的角逐に端を発している。 18世紀初頭、トーリ+英国国教会連合は、アン女王の支持を受け、ホイッグ+非国教徒連合を、圧倒していた。そこで、ホイッグが、アン女王が後継者なく没した後、ドイツ・ハノーバーから呼んだのがジョージ一世(1660年~1727年)であったが、彼は英語を解さず、当然イギリスの法・政治にも暗かったので、それまで王が主催していた閣議を放擲してしまった。代わりに、諸大臣のうち、筆頭のもの(たいてい大蔵大臣)が閣議を主催するようになった。これが責任内閣制の始まりであり、その閣議を主催する大臣を首相(prime minister*)と呼ぶようになった。イギリスの制度として、それまでに、王の発令発布する法令への大臣副署制の習慣が確立していたことも、王を名のものだけにする力があった。
この間のイギリス政治の動きについては、下記サイトを参照。
注の注* ジェフリー・アーチャー の小説『めざせダウニング街10番地』は、戸別訪問OKというイギリス選挙戦をはじめとするイギリス政治の生(なま)な部分を知るのに格好の書である。こ の原題は、“ First Among Equals” 、つまり「同輩中の首位のもの」=首相のこと。この言葉、確か、もとは、ラテン語の、“Primus inter pares”で、ローマ共和政から出現した、カエサルのような人間のこと、を指していたと思う。ちょっとここは記憶があいまい。失礼。
註 本記事は、一度、当blogで公表したものだが、標題からではその内容を予想できないので、自分のために再掲することにする。諸賢にも参考になれば幸甚。
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