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2006年6月24日 (土)

勝ちにまさかの勝ちあり、負けにまさかの負けなし

 標題はこういう意味だ。勝つときはまぐれで勝つこともあるが、負けるときはたまたま負けるということはなく、必ず負ける理由がある。
 逆に言えば、成功してしまったときより、失敗してしまったときのほうが、しっかり学びなおすことができ、より成長の糧になる、という意味でもある。空手家の言葉らしいが、プロ野球楽天の野村監督の座右の銘として、私も好きな言葉だ。

 さて、ただのサッカーファンであるrenqingが、サッカー・ワールドカップ・日本代表の戦績を、一つの観点からのみ考えてみる。それはシュートである。

 データをあげよう。

全3試合  

総得点 2 総失点 7

総シュート数 27 (枠内 10 = 37%) 被シュート数 57 (枠内 32 = 56%)

 シュート数の少なさにもガッカリだが、それ以上に、枠内に蹴り込んだのがたったの10本で、蹴り込まれたシュートが32本もある、というのが痛い。これではいくらなんでも勝てんだろう。

 では、枠内にいったシュートがどのくらい得点・失点に結びついているか。オフェンス・サイドでは、10本枠内シュートがあり、得点2(20%)。ディフェンス・サイドで、被枠内シュート32で、失点7(21.8%)。あまり変わらない。

 これを対戦相手別に見てみる。

オーストラリア戦  被枠内シュート 12 失点 3 (25%)
クロアチア戦    被枠内シュート  6 失点 0 ( 0%)
ブラジル戦     被枠内シュート 14 失点 4 (28%)

 つまり、世界最強のブラジルでも、得点できるかどうかは、枠内にシュートがいくかどうか、にかかっているわけだ。ま、あたりまえか。

 では、シュートの枠内率をくらべてみる。

オーストラリア戦  枠内率 2/6  = 33%   被枠内率 12/20 = 60%
クロアチア戦    枠内率  5/12 = 41%   被枠内率  6/16 = 37%
ブラジル戦     枠内率 3/9  = 33%   被枠内率 14/21 = 66%

 ちょうど、試合結果とパラレルだ。

 もし、枠内率が60%あれば、総シュート数が27本あるわけだから、16本前後枠内シュートがあり、そのうちの25%は得点に結びつき、4点は取れていただろう。

 つまり、日本のオフェンスは、シュートしても枠内にいかない。シュートがへた。これが決定力不足の真の原因ということになる。

 個人的にサッカーを競技としてやったことがないし、プロの練習振りなど見学したこともないのだが、いったいシュート練習ってやっているんだろうか。それがどーも不可解だ。

 一例を挙げよう。オランダ代表のFWに、ルート・ファン・ニステルローイがいる。彼は身長190cm近くあり、元来DFとして出発していたが、 MF、FWとポジションを移り、現在、世界有数のストライカーである(最近あまりパッとしないが)。彼の特徴は、その体力に物を言わせて、ペナルティアリ ア近くでの、相手DFを背負いながらのボールキープとそこから反転してのシュートである。

 そういう芸当は、その体力だけからのものだろうか? 実は、ポジションを移ったとき、彼は自分がFWとして生き抜くため自分の体力を生かしたスタ イルを作ろうと、いつも居残りで、コーチや仲間と、DFを背負いつつシュートを打つ練習を繰り返したのだという。そりゃあそうだよね。練習もせずに、あん なこと簡単にやられたらたまりません。そういう、具体的に試合を想定して、何度もシュート練習する、これが日本チームに不足しているんではないか、と思う わけね。

 もうひとつ。グループBのイングランド対トリニダードトバゴ戦。後半ロスタイムに、イングランドのスティーブン・ジェラードがペナルティエリアす ぐ外から素晴しいミドルシュートを打ち込んだ。ゴール右側から左に移動しながら、利き足ではない左足からの強烈なシュートだった。こういうことが本戦で可 能なのも、普段から、右でも左でも正確なキック、シュートが出来るように、場面を想定して、具体的に練習しているからだろう。

 で、もう一つ。日本対クロアチア戦。後半51分、加地がペナルティーエリアに飛び込み、反対側にいた柳沢へスライディングでボールを送るが、これ を柳沢は右足のアウトでタッチし、ゴール右側へ信じられないはずし方をする。ここで、柳沢は左足のインサイドでワンタッチすればよかっただけだ。それで彼 は英雄になれた。この大舞台の本番で、この機に及んで、左足のワンタッチシュートが出来ないということは、普段からそういう想定の練習をしてないというこ とに尽きる。天国と地獄は人生で紙一重だ。しばらく、彼は地獄を味わうしかないだろう。合掌。

 なお、FIFAの作成したマッチ・レポートをご覧になりたい方は、下記サイトを見てください。「トップページ」→「試合日程・結果」→「試合詳細」→「詳細データ」で、詳しい数値が見れます。

2006FIFAワールドカップ オフィシャルサイト

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コメント

 このエントリーに非常に刺激を受けて、お馬鹿な文章を書きました。ご笑覧ください。トラックバックがうまくいかなかったのでURLを貼り付けておきます。

http://blog.goo.ne.jp/binbin1956/e/d8e05973dd0de33beba116f47865e1ae

投稿: 加齢御飯 | 2006年6月25日 (日) 22時59分

川口のCM露出が増えそうだとのことです。
まあ、あれだけチャンス(川口にとっての)がやってくれば、目立ちますわな。

川口は頑張った、って誉める人間が多いんですけども、彼、高校のときから同じような目立ち方をずっとしていて、彼の評価は高まるけれども、チームはトップを取らないって感じじゃないですか?(これもデータ取ったらおもしろいかもしれません笑)

柳沢については、まあ、その通りなのですが、恐らくあのアウトサイドキックで決めていたら、翌日の見出しは「気合のゴール」だったんじゃないかと思います。結局、この国のメディアは結果論じゃないですかね。そういうメディア状況も日本サッカーにとって不幸でしょう。

ブラジルの選手たちは、後ろにも目がついてるかのようですが、これって結局、他のメンバーの動きが理解できてるんですよね、見てなくても。日本ってチームの選手には、そういう全体観みたいなものがまだまだ備わっていない。言うなれば「まだまだサッカーを知らない」わけで。

私は、現状の日本にとって一番害悪だったのは、中田英寿じゃないかと思ってます。やつは、自分のイメージするサッカーはもってても、日本というチームの力について、何も知っていなかったように思います。「己を知らず」。

というわけで、日本のサッカーは、メディア、サポーター、川口、中田(英)を除いていた方がうまくいったんじゃないかと、適当な放言をしておきます。

投稿: 足踏堂 | 2006年6月25日 (日) 13時15分

最近サッカー専門になっちゃった猫屋です。
いくらシュートしても入らない、という厳しい現実をどうにか耐えて、予選通過をやっとしたフランスチームを追っているわけですが、ティエリ・アンリが“自分には特別な才能があるとは思えない。いい結果は練習の成果なのでそれを評価してほしい”といったような内容のことをインタヴューで言っていました。

もちろん、より集めのナショナル・チームですからチームワークや選手同士の相性のの問題もあるし、選手のセンスや年齢もあるし、メンタルな部分も、そしてチャンスも大きく作用する。それにしても土台になるのは、日々の訓練でどこまでそれぞれの動作をオートマティズムまでもっていけるのか、ということだと思います。

ブラジル選手たちの、驚くようなパス・コンビネーション、インスピレーションにあふれた試合運びを見ていて、必ずしもボールを強く叩くばかりがサッカーではなく、瞬間の判断までも含めた日々の訓練、あるいは生活自体の表現としてのサッカーを彼らはやってるのだと感じました。

日本がサッカーを始めたのはせいぜい40年です。先は長いですよ。

投稿: 猫屋 | 2006年6月24日 (土) 20時59分

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