立憲主義と宗教改革(1)
6/6に、下記のようなご質問を戴きました。で、とりあえず、私のできる範囲でお答えしてみます。私に誤解、理解不足の点がありましたら、どなたかご指摘戴ければ助かります。
Q.6/6
いつも楽しく拝見しております。知的刺激を大いに受けております。この立憲主義についての考察も、次号を楽しみにしております。ところで、御存知であれば教えていただきたいのですが、関氏がいうところの「立憲主義の源流はユダヤ教である」、これはあくまでユダヤ教ということであって、キリスト教ではないということでしょうか?すなわち、「預言者」なるものが登場するのは旧約聖書であって、新約聖書ではないということでしょうか?高校の世界史の説明では、近代立憲主義が登場するあたりは、キリスト教宗教権力と近代国家の相克のなかで、世俗権力が確立し、「公-私の分離」が確定するというものだったので、この立憲主義成立のバイブルは新約聖書だとばかり思っておりました。御教示賜りますれば幸いです。
A.
1)関氏はユダヤ教と言っていますが、これを換言すると、旧約聖書に書かれている思想(旧約思想)の事です。宗教改革の関連で言えば、カルヴィニズムは旧約聖書を聖典として最重視しました。ですから、カルヴィニズムは旧約思想から決定的に影響を受けていることになります。端的に言って、旧約思想を初期近代において再生させたものとさえ言えます。
そして、そのカルヴィニズムは、典型的には、モナルコマキ(暴君放伐論者)、ヨハンネス・アルトジウス(1557-1638)を経て、J.ロックへとつながり、近代立憲主義へと転生します。
関氏が、近代立憲主義の起源の一つとしてユダヤ教の重視する文脈は、ここにあります。
2)一方、近代立憲主義の起源は何もキリスト教(あるいは宗教改革)だけにあるわけではありません。西洋中世にもしっかりその根を持っています。
古ゲルマンの法観念、統治契約論、身分制議会(=身分制的代議制)。これらも、権力の恣意的行使を制限するという意味で、立憲主義的な要素を充分持ってい
ます。また、それらは、近代立憲主義(成文、不文を問わず、人民にふるわれる統治権の行使を憲法によって制限すること)が、ほかでもなく西洋において成立
した重要な要因です。
上記の説明では、「公-私の分離」の側面を意図的に落としました。それより、権力制限論の側面のほうが、立憲主義については重要だと私は考えるからです。この面については、次回にします。
〔参照〕
C.H.マクヮルワイン『立憲主義その成立過程』慶応通信昭和41年
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コメント
> 近代立憲主義の起源の一つとしてユダヤ教の重視する文脈は..
「近代」立憲主義なのか「立憲主義」なのかで、回答は全く異なるのではないでしょうか。立憲主義とは、述べられている如く成文化さらた書き物としての規則にかぎらず、慣習法ひろげれば該当地域内で共有された思想信条もはいるでしょう。すなわち宗教との境目はなくなります。現実的に、国家(世俗)と宗教世界は分離されていますが、中性に置いては特に西洋では農民の収入の1/10を教会組織が徴収している。これはひとつの国家です。日本でも寺社は制度として信者から(現在でも)寄付を求めておりそれに違反すれば寺社のサービスは得られません。
旧約聖書に起源を求められているが、仏教であっても他の宗教であっても、宗教と呼べるものが出てくる以前に(アダムとイブ以前)、世界各地の土俗宗教は共同体統治(権力)と区別できないカタチでひとつの 憲法(規)を持っていたはずです(動物との区別)。現在でも、政治的な意味で言う憲法以外に、信仰の自由が保障されている(近代国家では)各種宗教の教え(定め)は書かれた憲法の前提になって人間の好意をしばっていると思います。したがって、constitutionには宗教も含めるべき、ということになります。
ついでですが、政治学者高坂は、constitutionは憲法というより「この国のかたち」(司馬遼太郎)と訳した方がよい、といっていたそうです。
投稿: 古井戸 | 2006年6月13日 (火) 12時52分