別に惜しくない「中田引退」(2)
中田が優れた能力をもつフットボーラーであることは間違いない。しかし、イタリアへ出て、その得点能力で注目を浴びつつも、しばらくすると泣かず飛ばずに陥っていた。それは、新天地を求めてチームを移動しても、当座の期待からチーム側の熱が冷めてくると、全く同じように繰り返されていた。
これは、監督と合う合わないという問題ではないだろう。どのチームに行っても、最終的には同じなのだから。
彼は学業ができたようだ。つまり、「頭がいい」らしい。たいていの運動選手は勉強はできない。限られた己の能力をスポーツに集中しているのだから当然である。これは海外のプロ選手であればなおさらそうだ。十代で頭角を現している選手なら、ほぼ、日本で言えば、中卒レベル、へたをすると小卒同等、だろう。
率直に言って、中田の問題は、チームメイトを軽く見て(「頭が悪い」とか)、自分に従うかどうか、という態度でしか接しないことではないか、と私は推測する。どの監督も、実際に中田をチームの中で使おうするとき、その態度がどうしても障害になり、ベンチに置くことになったのだと思うのだ。
中田は常にリーダーでいたいのだろう。しかし、チームメートは彼をリーダーとして認めなかった。日本代表においてさえも実質的にそうだったのだろうと思う。リーダーは、時には果断な命令を出す必要がある。しかし、この命令も相手が承認して従わなければ無意味だ。それには、日常的なコミュニケーション活動が前提となる。
中田は、人間には「指示を出す者」と「その指示に従う者」が厳然としているという事実は充分知っていた。ただ、惜しむらくは、その解釈に間違いがあったようだ。彼は、「偉くないもの」は「偉いもの」のいうことを、必然的に、きく、と思っていたに違いない。
しかし、集団メンバーと普段からコミュニケートしようとしないリーダーに、誰がついていくものか。彼は、「王様」でありたかったが、なれたのは「裸の王様」でしかなったわけだ。
外国語を操れることとコミュニケーション能力は何の関係もない、というが私の、このつたない中田研究の帰結である。
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コメント
「理性は感情の奴隷であり、それでよいのだ」と言い放ったのは、D.Hume でしたか(それなら、彼自身の理性はどんな‘情念’に支配されていたのか?)。
自動車で例えれば、情念、感情は、人間活動のガソリンで、理知はハンドルでしょう。ガソリンの無い車は、‘安全’ですが、何事をもなしえません。ハンドルが無ければ、他者をひき殺すこともします。
そういう、ちっちゃな人間ども(=‘隣人’)の織り成す、失敗しがちな人間の世界。善と悪を取り違えがちであるという意味で、‘自由’な人間。そこに、‘自然’とは異なる、人間の可能性を信じたいと思います。
投稿: renqing | 2006年7月18日 (火) 11時51分
中田が、堀江や村上と同時代人であるということが、今後「プチ社会学」かなにかで言われるかもしれませんね。
セクショナリズムは、会社にとって何の役にも立たないのに、人は、その小さな世界で他の人よりも認められたいと考え、時に、他人を蹴落とすようなことをします。ちっちゃなプライドを大切にして。
これと同じことが社会においてもあるような気がします。社会が豊かになるのとは逆方向であっても、自分だけが相対的豊かさを手に入れればいいという。ある種の寄生の発想だと思うのですが。
ただ、コミュニティってのはコミュニティで、やっぱり面倒なところもあって、私は、今名前を挙げた人たちを全否定するところまでは行けていません。
私は、コミュニタリアンでもあるわけですが、リベラルでもあるわけでして(笑)
投稿: 足踏堂 | 2006年7月17日 (月) 16時03分