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2006年7月11日 (火)

別に惜しくない「中田引退」

 ジダン退場、とか、イタリアの優勝とか、でちょっとかすんでるが、中田引退について一言。メンテナンスが始まると、多分、システム不調は2日間では済まないので。

 既に、各紙、各所で言われているよう、中田はサッカーを始めるときから、サッカーだけの人生は考えていなかった。プロになった当時のベレマーレ平 塚の監督が、中田がイタリアへ向かう際に漏らしていたように、中田にとって、サッカーは一過程にすぎず、その向こうに、ビジネス、おそらく、具体的にはク ラブ経営が頭にあったし、一つの選択肢として今もあるのだろう。だから、ブラジル戦に見せたあの涙はたまたま出た感傷にすぎまい。感慨はあるだろうが、そ れは彼にとって一瞬のことだ。中田の人生においてサッカーは、彼自身を生かす手段なのだ。別にそれを非難する気は全く無い。ただ、それを何か、持ち上げな ければ気が済まない、この日本のマスコミのインテリジェンスの無さが、もうたまらん。私のほうが泣きたいくらいだ。クールで合理的な批判ができないスポー ツ・ジャーナリズムが跋扈するかぎり、日本のスポーツのレベル、特に、サッカーのレベルは永遠にあがるまい。

 もう一点。テレビ解説でラモスが言っていたように、ピッチの中で、プロ根性を示したのは、中田と中沢だけだったのだろう。ただ、中田はこの5、6 年、日本代表における選手のリーダー格だったはずだ。リーダーの役割は、仲間によき模範jを示すとともに、仲間をモチベートし、仲間全体のアベレージを上げるよう工夫することではないか。中田にそれができていたのか。私はできてなかったと思う。その若さゆえ、年齢的に無理からぬことではあるが、磐田にいた ドゥンガのような役回りはできなかったのか。そのことに中田自身が思い至らないのだとしたら、彼の優秀な頭脳をもってしても、もしくは、優秀であるがゆえ に、ビジネスという人間くさい共同作業において、日本代表のレベルを全体として上げられなかった過ちをまた犯す可能性があることを老婆(爺)心ながら予言 しておこう。

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