金言シリーズ(その1)
するかどうか迷うときは、すべきだ。
なぜか。何もしないで後悔するよりは、行って後悔するほうがましだからだ。
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コメント
相談する人が周囲にいるかいないか、は大事なことのようです。
迷っているときにくつろいで相談できる人が身近にいる人は、いろいろ話しているうちに自分で「結論」を見つけ出す、すでにあった結論に気づくという事があります。
ひとりで迷って思いつめて行動するのは危険です。本を読んで指針を得るなど直面の占いよりも悪いかもしれません。
大袈裟な喩えですが、犯罪の加害者になる人も、被害者になる人も「弱い立場」の人だと言われてます。「弱い立場」とは身近に相談する人がいないということです。
数量的にはつかんでいませんが、幼児虐待をしてしまう人のなかには、生活資金に困ったとき「生活保護」と児童相談所の存在自体を知らない人がいるようです。犯罪が起こり、警察が動きだし、被疑者が特定され、逮捕された後、(この過程の各所でマスメディアの騒ぎが介入することもあります)。そ後で、児童相談所など不備がマスメディオ的に騒がれることがあります。この騒ぎが、改良の方向に進むよりは、利用者は足が遠のき、施設の側は怯えにより萎縮する方向に働くこともあります。
迷ったときには相談する、というのが金言とまでいかなくともボチボチのところではないでしょうか?
投稿: もも | 2006年7月27日 (木) 07時56分