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2006年9月18日 (月)

マックス・ヴェーバー『職業としての政治』(1919)(2)

 さて、この書の中身である。これがなかなか大変。薄っぺらい本だし、元来講演記録だから、目次がない。しかし、このパンパンに詰まった名著を読むには、目次があったほうが絶対に便利だ。ということで、試論的に目次を付してみることにする(岩波文庫版)。

 私見では、この小さな書を内容的に四つに分けることが可能だ。で、人口に膾炙している、「心情倫理と責任倫理」、の有名な部分だけを読みたい人は、最後 の「政治と倫理」的な箇所だけを読めば充分だろう。なぜなら、他の三部は、ヴェーバーの到達点とも言える歴史社会学の薀蓄を、「政治」に関して圧縮して注ぎ込んでいるだけだから。つまり、それ以前の本書の3/4は、政治と倫理の関係を知るための必要条件ではあっても、十分条件ではないのだ。

 逆に言えば、マックス・ヴェーバーの歴史社会学の精華を知りたい人は、読みづらい本ではあるが、物理的には相当薄いので、根気よく最初から最後まで読み通して戴きたい。使用する岩波文庫版の脇氏の日本語訳は極めて分かりやすく名訳といえるだろう。私はドイツ語を解さないが、日本語として整合性が取れていて、少なくとも私が訳書を通じて知っている限りのヴェーバー像と齟齬はないので、内容的にも信頼できると思う。ただ、もうちょい丁寧な註がないと初学者は苦しい。こんな短い本なのにクライマックスにたどり着く前に、息切れする可能性大だ。かといって、私に註を加えられる学殖があるわけでもないので、私には手が出せん。「よく分からんけど、すげぇー面白そー。」と感じた人は、創文社から出ている世良晃志郎訳の「支配の諸類型」あたりから、ゆっくり読み始めるべきだろう。この訳者のウェーバーに関する超人的訳業で、私みたいな素人でもウェーバーに触れることが、この日本で可能となっている。有り難いことだ。関心のある方は、先の書を含む創文社のウェーバー「経済と社会」のシリーズにすすまれたし。

 では、ごく簡単な、岩波文庫版における、四部構成の目次を記しておこう。項目名は、私が内容を鑑みてつけたものだから、その点、ご注意願いたい。

目次
第一部 「政治的支配」に関する歴史社会学的考察 (p.7-)
第二部 (君主の行政スタッフとしての)政治家の歴史的、社会学的類型学(p.19-)
第三部 政党制度と政党組織の考察(p.48-)
第四部 政治家と倫理(p.76-)

で、忙しい人は、第四部だけ。ウェーバーのやったことの概要をとりあえず知りたい人は、全て読んでみられたい。

 これより以下は、私が大事だと思った部分のメモと抜書き。本書からの抜書きは、全文を「」でくくってある。それ以外の文中の「」は、私が使用する強調符。

******************************************************

第一部 「政治的支配」に関する歴史的、社会学的考察

◎政治とはなにか

「権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力である。」(p.10)

◎国家とはなにか。

「正当な legitim(正当なものとみなされている、という意味だが)暴力行使という手段に支えられた、人間の人間に対する支配関係である。」(p.10)

◎被治者が支配者の権威に服従する2つの理由(p.11)
   ⇔被治者から見た支配機制

・内的な正当化の根拠
・外的な手段

○支配の内的正当化(正当性)の3つの根拠(p.11)

1.伝統的支配
「永遠の過去」がもっている権威で、これは、ある習俗がはるか遠い昔から通用しており、しかもこれを守り続けようとする態度が習慣的にとられることによって、神聖化された場合。

2.カリスマ的支配
 ある個人にそなわった非日常的な天与の資質(カリスマ)がもっている権威で、その個人の啓示や英雄的行為その他の指導者的資質に対する、まったく人格的な帰依と信頼に基づく支配。

3.合法性による支配 
 制定法規の妥当性に対する信念と、合理的につくられた規則に依拠した客観的 sachlich な「権限」とに基づいた支配で、逆にそこでの服従は法規の命ずる義務の履行という形でおこなわれる。

◎政治支配権力が行政を継続するための2つの条件(p.14)
   ⇔権力者から見る支配機制

 物理的暴力を行使するために必要な、1.人的行政スタッフと、2.物的行政手段が、支配者の手に掌握されていること。

1.人的行政スタッフ
 そこでの人々(つまり被治者;引用者註)の行為が、おのれの権力の正当性を主張する支配者に対して、あらかじめ服従するよう方向づけられていること。
← 服従の正当性の観念 + 物質的報酬・社会的名誉

2.物的行政手段の所有の2形態
 誰に所有されているか 
・行政スタッフ ⇔ 「身分制的」に編成された団体
・君主       → 近代国家の特徴

○近代国家の再定義(p.18)
 ある領域の内部で、支配手段としての正当な物理的暴力行使の独占に成功したアンシュタルトAnstalt 的な支配団体。

第二部 (君主の行政スタッフとしての)政治家の歴史的、社会学的類型学(p.19~)

・「臨時」の政治家
・「副業的」政治家
・職業政治家

○職業政治家の歴史的系譜
 君主が等族staendに対抗するするために利用してきた行政スタッフの歴史的系譜
1.聖職者Kleriker
2.人文主義的な教養を身につけた文人Literaten〔読書人〕
3.宮廷貴族Hofadel
4.ジェントリgentry
5.大学に学んだ法律家Juristen →法学的合理主義→絶対主義国家の成立、近代革命

第三部 政党制度と政党組織の考察(p.48)

第四部 職業政治家の個人的前提条件(p.76~) ⇔ 政治家と倫理

・倫理的行為の二つの準則(p.89)
 倫理的に方向づけられたすべての行為は、根本的に異なった二つの調停しがたく対立した準則の下に立ちうる。

 1.「心情倫理的 Gesinnungsethisch」に方向づけられている場合
 2.「責任倫理的 Verantwortungsethisch」に方向づけられている場合

「全能であると同時に慈悲深いと考えられる力が、どうしてこのような不当な苦難、罰せられざる不正、救いようのない愚鈍に満ちた非合理的なこの世を創り得たのか。この疑問こそは神議論の最も古い問題である。この力には全能と慈悲のどちらが欠けているのか、それとも人生を支配するのはこれとは全然別の平衡の原理と応報の原理―そのあるものは形而上学的に解釈でき、あるものは永遠に解釈できない―なのか。この問題、つまり、この世の非合理性の経験が、すべての宗教発展の原動力であった。」(p.93-94)

「突然、心情倫理家が輩出して、「愚かで卑俗なのは世間であって私ではない。こうなった責任は私にではなく他人にある。私は彼らのために働き、彼らの愚かさ、卑俗さを根絶するであろう。」という合い言葉をわがもの顔に振り回す場合、私ははっきり申し上げる。―まずもって私はこの心情倫理の背後にあるものの内容的な重みを問題にするね。そしてこれに対する私の印象はといえば、まず相手の十中八、九までは、自分の負っている責任を本当に感ぜずロマンチックな感動に酔いしれた法螺吹きというところだ、と。人間的に見て、私はこんなものにはあまり興味がないし、またおよそ感動しない。これに反して、結果に対するこの責任を痛切に感じ、責任倫理に従って行動する、成熟した人間―老若を問わない―がある地点まで来て、「私としてはこうするよりほかない。私はここに踏み止まる」〔ルッターの言葉〕と言うなら、測り知れない感動をうける。これは人間的に純粋で魂をゆり動かす情景である。なぜなら、精神的に死んでいないかぎり、われわれ誰しも、いつかはこういう状態に立ちいたることがありうるからである。そのかぎりにおいて心情倫理と責任倫理は絶対的な対立ではなく、むしろ両々相俟って「政治への天職」をもちうる真の人間をつくり出すのである。」(p.102-103)

マックス・ヴェーバー『職業としての政治』(1919)
岩波文庫1980年 脇圭平訳
Max Weber, POLITK ALS BERUF, 1919

〔注〕本シリーズ、(1)(3)、も参照。

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