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2006年9月18日 (月)

「知らない」ことは、そのままでは「知りたく」ならない(2)

 前回の記事に、日頃からその辛辣な時評に敬服しているタカマサ氏から応答を戴いた。

教師のうしろすがたは、手本になるか?

 私もいちいち頷ける。だから特に反論があるわけでもない。ただ、一つ思い出した事例があるので、記しておこう。

「立命館大学で中国文学を研究されているS教授の研究室は、京都大学と紛争の期間をほぼ等しくする立命館大学の紛争の全期間中、全学封鎖の際も、研 究室のある建物の一時的封鎖の際も、それまでと全く同様、午後十一時まで煌々と電気がついていて、地味な研究に励まれ続けていると聞く。団交ののちの疲れ にも研究室にもどり、ある事件があってS教授が学生に鉄パイプで頭を殴られた翌日も、やはり研究室には夜おそくまで蛍光がともった。内ゲバの予想に、対立 する学生たちが深夜の校庭に陣取るとき、学生たちにはそのたった一つの部屋の窓明りが気になって仕方がない。その教授はもともと多弁の人ではなく、また学 生達の諸党派のどれかに共感的な人でもない。しかし、その教授が団交の席に出席すれば、一瞬、雰囲気が変るという。無言の、しかし確かに存在する学問の威 厳を学生が感じてしまうからだ。
 たった一人の韋丈夫の存在がその大学の、いや少なくともその学部の抗争の思想的次元を上におしあげるということもありうる。残念ながら文弱の私は、そのようではありえない。」高橋和巳「わが解体」< 加地伸行・解説より孫引き< 白川静『孔子伝』中公文庫 1991年

 あともう一つ。以下の文中の、「世間」・「他人」を、「生徒」や「学生」に、「政治」を「教育」に置き換えてみると、《教師における心情倫理と責任倫理》という問題が浮き上がってくるように思うのだが。

「突然、心情倫理家が輩出して、「愚かで卑俗なのは世間であって私ではない。こうなった責任は私にではなく他人にある。私は彼らのために働き、彼ら の愚かさ、卑俗さを根絶するであろう。」という合い言葉をわがもの顔に振り回す場合、私ははっきり申し上げる。―まずもって私はこの心情倫理の背後にある ものの内容的な重みを問題にするね。そしてこれに対する私の印象はといえば、まず相手の十中八、九までは、自分の負っている責任を本当に感ぜずロマンチッ クな感動に酔いしれた法螺吹きというところだ、と。人間的に見て、私はこんなものにはあまり興味がないし、またおよそ感動しない。これに反して、結果に対 するこの責任を痛切に感じ、責任倫理に従って行動する、成熟した人間―老若を問わない―がある地点まで来て、「私としてはこうするよりほかない。私はここ に踏み止まる」〔ルッターの言葉〕と言うなら、測り知れない感動をうける。これは人間的に純粋で魂をゆり動かす情景である。なぜなら、精神的に死んでいな いかぎり、われわれ誰しも、いつかはこういう状態に立ちいたることがありうるからである。そのかぎりにおいて心情倫理と責任倫理は絶対的な対立ではなく、 むしろ両々相俟って「政治への天職」をもちうる真の人間をつくり出すのである。」(p.102-103)
マックス・ヴェーバー『職業としての政治』(1919)、岩波文庫1980年 脇圭平訳

*下記も参照を乞う。
マックス・ヴェーバー『職業としての政治』(1919)(1)
マックス・ヴェーバー『職業としての政治』(1919)(2)

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コメント

 大学教員が何の対価として報酬を得ているかとしたら、研究行為ではなく、教育行為でしょう、今も昔も。
 で、教育っていうのは、おそらく一方通行の teaching ではなく、communicating なのだろうと思います。
 とすれば、己の有している知識を餌付けのように学生(生徒)に投げるだけで、食べるかどうかはお前達学生(生徒)の意欲と能力にかかっている、とふんぞり返っている大学教授(教師)様がいるとすれば、そいつは、哀れむべき脳天気な心情倫理家か、教壇(教室)権力者に過ぎません。
 学生運動を(当の学生たちがそう言い、思ったにしろ)革命運動などと取り違えたのは、大学教員たちが、己を無意識に教壇(教室)権力者と認識していたからのように思います。
 人間行為がもちうる全ての愚劣さを学生運動が有していたとしても、その本質は、communicate への欲求だったのではないかと私には思えるのです。

投稿: renqing | 2006年9月19日 (火) 12時52分

高橋和己はスト休講中、大學に講演に来た。訥々、と語り何を言っているのかわからなかったが。

我が解体は文藝に連載していた。
いま振り返るに、子供は革命家たり得ない、ということ。
マクスウェーバを持ち出すこともあるまい、。。というレベルに感じた。

投稿: 古井戸 | 2006年9月18日 (月) 09時31分

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受信: 2006年9月18日 (月) 07時54分

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