The Imperial Household Agency as the breeder of Emperor's family
まずは、皇位継承第3位の皇族男子誕生を言祝(ことほ)ぎたい。しかし、己の身体一つでさえ自由に処置できない世界に登場したことは、彼にとって祝福すべきことなのかどうか。昭和天皇の身体(body)を巡る唖然とする逸話を、Dead Letter Blog氏が紹介してくれている。
君に幸あれ(by Dead Letter Blogさん)
赤ちゃんは天からの贈り物といったのは、初期社会主義者ロバート・オーエンだった。にもかかわらず、彼の「人間」としての行く末を思うとき、暗澹となるのはわたしだけではあるまい。この赤ちゃんの人権を、なるべく近い将来、改善ないし回復するのは、日本国民の、人間としてのせめての義務ではなかろうか。
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コメント
猫屋さん、どーも。
皇室は、「戦後家族」のモデルとして、位置づけられてきました。「人権」のモデルとしても機能しているようです。「あの方々でも、我慢しているんだから、お前も我慢しろ。」と。おー怖。
いや、それよりむしろ怖いのは、「皇室なんて税金で食べてんだから、そのくらい不便でも、ガマンして当然。我儘いうな!」という感覚ですかね。
他者が人権を踏みにじられているのを見て、それを当然とする感覚があれば、すでにこの国は、近代国家ではありません。日本人は野蛮人です。
投稿: renqing | 2006年9月22日 (金) 12時36分
まさに。
トップでの“人権”があってこそ、民の“人権”もあるのではないのでしょうか。
投稿: 猫屋 | 2006年9月21日 (木) 06時10分