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2006年10月 9日 (月)

教皇ベネディクト十六世のレーゲンスブルク大学での講演 信仰、理性、大学――回顧と考察 (2006.09.12) (2)

 はじめにお詫びを。前回の(1)のドイツ語リンクが間違っていました。リンクを辿られて変だな、と思われた方、ごめんなさい。10/1付けで、訂正してあります。

 さて、教皇の講演を読んですぐに気が付くことがある。それは「理性 Vernunft, reason」という言葉の多さである。試みに、ドイツ語版、英語版、日本語版をそれぞれ、ワードに落として、検索機能で出現回数をカウントしてみた結果が以下である。

「理性 Vernunft, reason」
ドイツ語版 45 回
英語版   44 回
日本語版  52 回

 ついでに、

「ロゴス logos」
ドイツ語版 12 回
英語版   10 回
日本語版  11 回

となる。ただし、皇帝の名に一部含まれているのでそれもカウントされている。皇帝名は自ら名乗ったものだと思われるので、あえて算入。

 他に、

「ギリシア griech, greek」
ドイツ語版 15 回
英語版   14 回
日本語版  15 回

である。これらについては後に触れる。

 教皇がキリスト教におけるギリシア哲学の伝統を誇示するのは当然と言えば当然だ。教皇も触れているように、新約聖書が引用してる旧約聖書は、紀元前後に徐々に成立した「七十人訳(セプトゥアギンタ)」で、これはギリシア語なのである。当時パレスチナから地中海世界各所に分かれ住んでいたユダヤ人は すでにヘブライ語聖書を読めなくなっていた。そのため、地中海世界での国際語的な役割を占めていたコイネ-・ギリシア語に訳されたユダヤ教聖典(旧約聖書)が、このセプトゥアギンタである。つまり、紀元前後の地中海世界に住んでいたユダヤ人知識人もかなりギリシア化していたと言える。また、イエスを指導者とするパレスチナのユダヤ教異端派であった集団は、当時ユダヤ人の日常語であったアラム語で会話していたはずだが、その後成立してくる原始キリスト教団が伝道していった地中海世界の言葉がこのコイネ-・ギリシア語であった。それで、ユダヤ教異端ではなく新興宗教(原始キリスト教)としてそれを受容していった人々にとって、キリスト教の聖典である新約聖書はコイネ-・ギリシア語で成立することになる。つまり、キリスト教の前史から色濃くヘレニズムの刻印は押さ れていた*。

 そもそも、「イエス・キリスト」はコイネ-・ギリシア語で、Iesus Christos。「イエス(イエスース)」なる個人名は、当時のユダヤ教徒の間では、「太郎」や「Tom」みたいなもので、元はヘブライ語のイェホシュア(ヤハウェは救い)であり、そのギリシア語形。「キリスト(クリストス)」は、ヘブライ語のマーシーアッハ(アラム語でメシーハー、つまりメシア)のギ リシア語形である**。

 また、ロゴス logos に関しては、元来、ユダヤ教聖典、つまりヘブライ語旧約聖書のダーバールの訳語として、セプトゥアギンタ(七十人訳聖書)で登場する。ダーバールとは、ヘブライ語で「言葉」とそれによって表される「事柄」意味する***。

「比較思想的に見れば、ギリシア的な「ロゴス」が秩序や法則性と結び付いた合理性や、恒久的原理性という意味での静的性格を特徴とするのに対し、ヘブライ的「ダーバール」は強い意志的・実践的性格を持つと同時に、変化と運動を生ぜしめる力動的傾向が顕著であると言えよう。」***

 そして、キリスト教神学としてギリシア化、特にプラトン化を決定的にしたは、初期教父を代表するユスティノス Ioustinos(?-165年ころ)であり、

「真理としての哲学とは神についての知にほかならず,これは原初すでに神によって啓示され,旧約の預言者たちにより告知されたものであって,キリス ト教はこの真理の解釈に基づくと述べ,旧約と新約との連続性,ならびにキリスト教のギリシア哲学に対する優越性を展開して」****

いて、また、

「キリスト以前のキリスト教徒を認め、その代表にソクラテスを挙げている。」*****

 つまり、

「古代教会以来のその神学という観点からみれば、キリスト教は古代ユダヤ教ではなくプラトン以来のギリシア哲学の後継者なのであ」******

り、

「・・・、実際パウロ以来のキリスト教の実体は、ヘブライズムとヘレニズムの間の調停不可能な相克以外の何ものでもない。
 そして、キリス ト教に固有のこの相克とパラドックスがヨーロッパ文明を生んだ。そこでは信仰の純化が試みられる度に、人間はキリスト教の不条理と虚無への自己解消に直面 し、危機に対する反動としてヘレニズムの遺産である知と権力のシステムが強化され拡大された。」*******

 この「知と権力のシステム」こそが、プラトンのイデア論に始まるヨーロッパのロゴス(理性)の正体である。生成変化して止まない万物の此岸から、 あらゆるものの消滅や死を超えた彼岸、イデアの世界こそが本質・真理である。しかし、此岸に属する身体を有する人間においては、そのイデアの世界にアクセスすることは至難の業である。ところが、神的知者、つまりロゴス(理性)を持つ知の巨人(すなわち、私=プラトン)ならば、身体は此岸にあるにも関わらず、真世界を知ることは可能であり、そのことによって真実の彼岸に到達できない哀れな知的弱者たちを導き、彼らには知りえない真理の恩恵に浴させることが可能となる。

 このロゴスを有する後継者が、キリスト教カトリック=イエスの分身である教会およびその位階制の頂点に立つ教皇、ということになるわけだ。

 こうして、この教皇のメッセージでも、「理性」が頻出することになる。そして、理性とは真を偽から区別する能力に他ならないから、これは知の強者による真理の独占とも言え、歴史的に見れば、自己の正しさを信じて疑わない「狂信」の別名でもあった。ヨーロッパ人が南北アメリカのネイティブ・アメリカ ンをほぼ絶滅し、それを義認したのはキリスト教であり、2千年間幾度と無く繰り返されるユダヤ人虐殺を、イエス殺しの汚名を着せて許していたのもキリスト教である。また、共産主義という福音を信ぜず、鉄の歴史法則をわきまえない愚民を粛清したのは、「狂ったキリスト教=マルクス主義たち」であった。

 以上が、今回の教皇講演に関する私の感想。ふぅー、私としては、長かった。

*聖書翻訳の歴史(日本聖書協会)

**岩波哲学思想事典1998年、「イエス・キリスト」(大貫隆、筆)の項より。

***岩波哲学思想事典1998年、「ダーバール」(山折哲雄、筆)の項より。

****平凡社世界大百科事典1998年、「ユスティノス」(野町啓、筆)の項より。

*****<岩波哲学思想事典1998年、「ユスティノス」(柴田有、筆)の項より。

******関曠野『プラトンと資本主義』改訂新版1996年、p.429(あとがき)

同書については、正面から論じたものを見かけたことがないので、時間を作って、なんとかこのブログで実行してみたい。

*******同書、p.435(あとがき)

参照
教皇ベネディクト十六世のレーゲンスブルク大学での講演(1)

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