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2006年10月26日 (木)

初しぐれ猿も小蓑をほしげ也(芭蕉)

初しぐれ猿も小蓑をほしげ也
(松尾芭蕉 猿蓑集 巻之一)

 明治以前と明治以降を比べて違いが際立つのは、その社会におけるユーモアへの親和性ないし許容度だろう。

 それは、この日本の文芸史上、最高のユーモリストの1人、芭蕉の句を見ればわかろうというものだ。

 時雨どき、おそらく山中で、路傍の猿を微笑む芭蕉の眼は、それを眺めている酔狂な自分へも確実に届いている。ここに、常に〝世界〟へ開かれている新鮮な感覚と己(おのれ)をも対象化する強靭な知性が存在する。

 明治以降、正統性なき薩長クーデタ権力の一貫した文化政策は、ユーモア、笑いの封じ込めであろう。なぜなら、ユーモアとは知性と感性の幸福な結婚であり、権力が巧妙に構成する〝現実の唯一性〟を、たかだか〝可能的存在の一つ〟に引き下げてしまう力を秘めているからだ。

 上述の文化政策がドイツ(プロイセン)化として現れた事は、以下の三島の言を見れば故なきことではなさそうである。

 これ(=風刺のこと。renqing註)に反して、ユーモアは人間生活の内部における潤滑油のようなものであります。それも緊張に際して行動の自由を奪われる人間の窮屈な神経を解きほぐし、生活上の行動に対して自由な楽な気分にしてはげますものであります。ですから、イギ リス人は戦場において厳しい戦闘のさなかにもユーモアの精神を発揮します。ユーモアと冷静さと、男性的勇気とは、いつも車の両輪のように相伴うもので、ユーモアとは理知のもっともなごやかな形式なのであります。ドイツ人はいかにも男性的尚武の国民として知られていますが、ユーモアの感覚の欠如している点 で、男性的特質の大事なものを一つ欠いているということができましょう。
三島由紀夫 『文章読本』 中公文庫(1995) 、p.219

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