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2006年10月28日 (土)

愛国心とはなにか

「学校は、約束事で成立している社会というもののミニチュア版の見本であり、そして子どもが日常の立ち居振る舞いをとおして、権利、義務、責任といった観念を身につける実験の場である。実験的ということは錯誤と失敗が許されていること、そして市民的教養の基礎をなす観念が単なる抽象的な言辞として説かれるのではなく、範例として具体的に示されることを意味する。そうした教育は、子どもの中に表面的な文言の理解を超えた正と不正の感情を育むだろう。権力の正統性を承認するか否かを市民に決定させるのは、この感情である。

そしてこの感情が発達するとともに、子どもは、自分の行為が結果として他者に及ぼす影響や世の中のさまざまな不正に敏感に なるだろう。デモクラシーの教育は、こうして市民的な感性を育成するのであり、愛国心とはこの感性に根ざす同胞意識以外のなにものでもない。憲法は理性の 産物であっても、それに生命を吹き込むのは市民的感性である。ゆえに、立憲国家においては憲法と教育は車の両輪のように不可分である。」
関曠野「保守派の教育観を読みとく」『クレスコ』(大月書店)2006年9月号、p.24

愛国心〔名〕自分の国を大切に思う気持ち。祖国愛。
*新体詩抄(1882) 抜刀隊・前文〈外山正一〉「普仏戦争の時普人の『ウォッチメン、オン、ゼ、ライン』と云へる歌を謡ひて愛国心を励ませし如き」
*経国美談(1883-84)〈矢野龍渓〉後・一三「智氏が愛国心の厚くして痛く辛苦せしを憐れみ」
*近時政論考(1891)〈陸羯南〉四期・六「既にして仏人の国民精神即ち愛国心は其の適度を超えて殆んど非国民精神を呼び起こしたり」
 すべて、『日本国語大辞典第二版』小学館(2001年)、〈愛国心〉の項。

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コメント

>大家はこっち(国民)なのだ。
>国民が公僕にたいして愛国心を命ずることは当然のこと、彼らの義務なんだから。

同感。国(民)を愛する義務を負うのは、公務員である中央官僚であり、特別公務員である国会議員たち、です。

>店子が国家。勘違いしてんじゃないのかな。
してるでしょう。安倍の頭の中では、権力(者)=自分たち=日本国、となっていて、「国を愛せ」とは、権力者を愛せ、つまり、現下の権力秩序を愛せ、という意味なのでしょう。片腹痛い連中です。

投稿: renqing | 2006年10月30日 (月) 12時41分

愛情の有無、判断・証明はどうやる?基準、と、妥当性。
愛国心が無い(と判定された)、ばやいの、罰則は?

愛国心なんて、催促無しの、ある時払い、でいいのですよ。
なにも国民が国に借金しているわけではない。国民が国と公僕を、税金で養ってやっているのだ。
大家はこっち(国民)なのだ。店子が国家。勘違いしてんじゃないのかな。

愛国心、の 国とは主権者たる国民のことだ(政府、でも、日本列島のことでもない)。国民が公僕にたいして愛国心を命ずることは当然のこと、彼らの義務なんだから。
そもそも、扶養主であり主権者たる国民に、公僕どもが何かを命ずる、など、とんでもないこと。頭(ず!)が高い。無礼者、下がりおろう!!

投稿: 古井戸 | 2006年10月30日 (月) 02時17分

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