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2006年11月29日 (水)

「こころ」は、heart か、mind か?

 漱石の小説「こころ」。あまりにも有名な作品だが、不思議なことに、文中、〈こころ〉なる言葉は一度も出てこない。「そんな馬鹿な!?」とお考えの方は、青空文庫からでも、テキストを全文DLして、ワードあたりに読み込んで、検索をかけてみて戴きたい。うーん、理由はよくわからんが、漱石がタイトルとして使うということは、この小説の核心部分と推測可能だが、はて・・・。

※ご参照 夏目漱石『こころ』1914年岩波書店: 本に溺れたい

 では、〈こころ〉は英語でなんと言うべきか?

《 mind 》

新英和中辞典 第6版 (研究社)
(身体と区別して,思考・意志などの働きをする)心,精神 《★【類語】 heart は感情・情緒を意味する心》

英辞郎では?
(自分でコントロールできる)心(の働き)

《heart》

新英和中辞典 第6版 (研究社)では?
(感情,特に優しい心・人情が宿ると考えられる)心,感情

英辞郎では?
(自分でコントロールできない感情的な)心、胸の内、気持ち{きもち}

《spirit》
新英和中辞典 第6版 (研究社)では?
(肉体・物質に対して人間の霊的な)心

英辞郎では?
精神{せいしん}、気分{きぶん}、気迫{きはく}、気力{きりょく}

 どうも、「こころ」=《heart》ということになりそうだ。ただ、冒頭の漱石の「こころ」はどう言えばよいのか。

 ここで思い出すのは、ある中国婦人が、つくづく「日本人て本当に、こころ、が好きですね」といったこと。

 途中だが、中国人にとっての「心 xin」と日本人にとっての「こころ」の考察は(2)に譲ることにする。*かわうそ亭さんの「英語類義語活用事典」も、ご参照あれ。

**下記も参照。
「こころ」は、heart か、mind か?(道草篇)
「こころ」は、heart か、mind か?(2)

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コメント

かぐら川さん、どうも。
 こちらまで出張っていただいて恐縮です。お時間のあるとき、弊記事などに引っ掛けて、コメント戴けますと嬉しいです。

 あ、ついでに、私もこの論文は好きです。いつか他の記事で、触れることもあると思います。

投稿: renqing | 2006年12月 4日 (月) 03時58分

『プロテスタンティズムと資本主義の精神』、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』でした。「倫理」が欠如している私でした。

投稿: かぐら川 | 2006年12月 1日 (金) 10時46分

おじゃましました。はじめまして、かぐら川です。

spiritで思い出しましたが、Weberの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』の「精神」は括弧つきの《Geist》ですが、英訳では「spirit」のようですね。

それよりも、時間のあるときにあらためてまた寄らせていただきます。おもしろそうな話題がいっぱいなので。

投稿: かぐら川 | 2006年12月 1日 (金) 00時41分

古井戸さん、どうも。
 ま、言われてみればそうなんですが。「こころ」・・・。うーん、何か漱石がこめた意味があるような気が。そういえば、「天才バカボン」でしたっけ、「こ、こ、こころの親分」がでてきましたね。あれは何のこころだったのか?

投稿: renqing | 2006年11月30日 (木) 12時10分

猫屋さん、どうも。
>調べてみたら、“こころ”の仏訳のタイトルは“Le pauvre coeur des hommes ”、つまり“人間(あるいは男、複数)の貧しいこころ=ハート”と訳されておりました。
なるほど。確かに。所詮、男女の色恋沙汰の三角関係のもつれ、ですんで。

投稿: renqing | 2006年11月30日 (木) 12時06分

この小説に限らず漱石の小説のタイトルはそれほど重要ではないとおもいます。こころ、など翻訳不可能だし、意訳する必要もない。 先生、でいいのじゃないでしょうか。小説で訳している先生(Master ? )をそのままタイトルにすればいいと思います。草枕、なども、けったいなタイトルに訳されていますね。。。

投稿: 古井戸 | 2006年11月29日 (水) 10時29分

調べてみたら、“こころ”の仏訳のタイトルは“Le pauvre coeur des hommes ”、つまり“人間(あるいは男、複数)の貧しいこころ=ハート”と訳されておりました。

投稿: 猫屋 | 2006年11月29日 (水) 09時43分

これはなかなか本質的なんですね。米語ではインテリジェンスとソウルみたいにもなる(アフリカン・アメリカンからの影響もあるかと)思いますが、厳密に考えてみれば、スピリッツとハートかもしれない(これはキリスト教のアタマと身体のことか)。仏語でもパンセ(思考)とか、イデ(英語ではソートとか)それに対してエモーションとかになるのかなあ。カントとかデカルトはわからないのでナントモいえませんが。究極的にはユダヤ・キリスト教的な精神VS身体みたいなシェーマがあるような気がします(自信ないけど)。まあ、フロイドが出てきてからかなり変わったと思うけども。

で、東洋思想の根っこにはそういった認識はないんじゃない?仏教にも。
韓国の人と話してて、欧州人には“情”がわからない、困ったことだってことになった。同時に、漱石は日本の情と西洋的“分析というか分離”とのズレみたいなものを始めて書いた人じゃあないでしょうか。これも自信はないんですが。

投稿: 猫屋 | 2006年11月29日 (水) 09時39分

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