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2006年11月23日 (木)

「御一新」 その隠されたモダニティ(2)

「・・・、保守派には明治以来それなりに一貫した教育観があること、しかもそれは土着的・伝統的どころか近代ヨーロッパの国家主義の論理に見事に一致している」p.25

関曠野「保守派の教育観を読みとく」『クレスコ』(大月書店)2006年9月号

「・・・、教育勅語とは何であったかを説明するのは、皇国史観ではなくてこのホッブズの教育論である。」p.25、同上

「そして勅語の意義は特定の思想を吹き込むことにはなく、儀式の魔術的効果によって臣民を思考停止の状態に置き、権利、義務、正義といった権力の正統性の評価にかかわる観念を理解できない人間にしてしまうことにあった。」p.26、同上

「(教育基本法の:引用者註)改正論者は、昨今の日本で個人が幼児化した消費者に堕してしまったことを容認している。感覚と衝動で動き、拡大する消 費の欲望を満たそうと市場で弱肉強食の競争をする「個人主義」に対しては彼らは異論はない。問題はその種の個人主義の蔓延に耐えることができ、それによっ て個人がさらに消費の欲望と競争の世界に埋没することを可能にするような国家体制の創出なのである。そしてホッブズがすでにこの問題を論じていた。すなわ ち、感覚と衝動で動くばらばらな個人を国家に統合し、主権者の権威に無条件に服従させる契機になるものは、死と苦痛の脅威なのである。それゆえに改正案の 究極の目標は、テロや仮想敵国の恐怖によって統合され、政府が世論や法的先制を無視して権力を行使できる国家の実現にあると見ていいだろう。」p.27、 同上

 「御一新」 その隠されたモダニティ(1)で触れたように、幕末期の水戸学や国学に、奇妙な近代的急進思想があり、明治の国家イデオロギーには、関曠野が指摘する、一つの近代的人間観、すなわち社会の紐帯から切り離された原子論的人間観が潜在している。

 これをどう考えるか。

 伝統思想の強化されたリバイバルとみなされがちな、後期水戸学や国学だが、彼らとて江戸後期の時代思潮から自由ではあり得ない。おそらく、蘭学を始めとする、多様な西洋思想から摂取したものがやはりあったのではないか。その物証を探求する必要がありそうだ。

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コメント

幕末期、全国の志士と呼ばれた人士たちを鼓舞させたのが、会沢正志斎「新論」、藤田東湖「講道館記述義」でした。国体という言葉は前者から、幕府という言葉は後者から、時代思潮を反映する言葉として、人口に膾炙しました。吉田松陰も水戸学の影響下にありましたから、伊藤を始めとする松下村塾系の志士たちも当然、水戸学の影響下にあったと言って差し支えないでしょう。

投稿: renqing | 2006年11月27日 (月) 06時23分

水戸学は、海外から押し寄せる開国要求に対抗して国民国家=神祇国家、としてのイデオロギーを供給した、といわれています。神祇的天皇制を設計したのは伊藤博文といわれますが、伊藤博文と水戸学の関わりはどんなものだったのか、が知りたいところです。

投稿: 古井戸 | 2006年11月26日 (日) 10時57分

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