« 受動態は、主体を消す | トップページ | 「御一新」 その隠されたモダニティ(2) »

2006年11月22日 (水)

「御一新」 その隠されたモダニティ(1)

 まずは、以下の二つの引用を対照して、その奇妙な並行現象に注目していただきたい。

「おそらく、国学や水戸学的言説で満たされていた当時の思想空間において、「神武創業」は、抜本的革新を志向する文脈に登場してくる必然性を持った観念だったのであり、しかもそれは、王政復古の大号令の一節、「旧来驕惰の汚習を洗い」にもうかがわれるように、長い年月の間に積もり重なった汚濁を排除して、「純粋の始原」の回復をめざすところの、その意味で、日本における「原理主義」とでも呼ぶうるような志向をともなっていたのである。」p.47

坂本多加雄『明治国家の建設 1871~1890』〈日本の近代 2〉、中央公論社1999年

「しかし、モダニティの通説は、確実性の探求と、形式論理に対する尊敬を合理性と同一視することに基礎を置いていたばかりではなく、近代的・合理的 な問題対処の方法は、伝統から受け継いだ混乱を一掃し、過去を清算し、そして最初からやり直すことである、という合理主義者の信念をも踏襲していたのであ る。」p.285

スティーヴン・トゥールミン『近代とは何か―その隠されたアジェンダ―』法政大学出版局(2001年)、叢書ウニベルシタス 731

*下記も参照。
「御一新」 その隠されたモダニティ(2)

|

« 受動態は、主体を消す | トップページ | 「御一新」 その隠されたモダニティ(2) »

Stephen Toulmin」カテゴリの記事

坂本多加雄」カテゴリの記事

幕末・明治維新」カテゴリの記事

徳川史」カテゴリの記事

思想史」カテゴリの記事

西洋」カテゴリの記事

コメント

古井戸さん
私も、
>時間的に古い、とか、新しいとか
とは、言っていません。人間社会への見方の問題として言っています。現状は手の付けられないほどダメだから、一切ゼロから=始原から、やり直そう。これは、そのモデルが、あやふやな共産主義社会だろうが、無垢な古(いにしえ)の桃源郷だろうが、発想としてはモダニティの構えと同じだと言いたいわけです。
>彼ら、とは水戸神学イデオローグ、のことでしょうか?
いえ、先の私の発言は、明治クーデタ権力の領袖たち、つまり伊藤たち、のことを指して言っています。
また、明治コンスティテューションのアイデアをほとんど一手に引き受けて伊藤に献策したのは、井上毅です。

投稿: renqing | 2006年11月27日 (月) 06時10分

時間的に古い、とか、新しいとかは、この際関係ないと思います。
彼ら、とは水戸神学イデオローグ、のことでしょうか?
モダニティ(2)でも書いておられますが、危機意識(対外勢力への対応)に触発され、国民国家論を築いたところまでは、ホッブスと同じですね。水戸学は国民国家創設にあたり、人心の離反を恐れた。これは伊藤博文と同じです。

投稿: 古井戸 | 2006年11月26日 (日) 11時02分

古井戸さん、どうも。
 私がこの記事で言いたいことは、その逆です。彼らは復古主義者を装っていますが、実は確信犯的モダニストではないか、ということです。その関連で、(2)をアップしてみました。

投稿: renqing | 2006年11月23日 (木) 22時46分

宗教と世俗王権を早くから分離した西欧に、呪術的国家神道(天皇制designed by伊藤博文)など想像もできなかったでしょう。

投稿: 古井戸 | 2006年11月22日 (水) 07時29分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104369/12776951

この記事へのトラックバック一覧です: 「御一新」 その隠されたモダニティ(1):

« 受動態は、主体を消す | トップページ | 「御一新」 その隠されたモダニティ(2) »