teaching と communicating は異なる
teaching と communicating は異なる。安倍教育改革なるものが目指すというのはあくまで前者。これには、始めから、「教える」立場の人間と、「教わる」立場の人間が前提とされている。ここに対等な人間関係の入り込む余地はない。しかし、子供たちが大人に求めているものは後者だ。なぜなら、communicatingは相互に敬意を払う人間関係にしか成立しないから。そもそも、これがなければ他者の人権など理解出来まい。
孔子も言っている。
子曰。不曰如之何。如之何者。吾末如之何也已矣。
子(し)曰(いわ)く、これをいかん、これをいかんと曰わざる者は、
われこれをいかんともする末(な)きのみ。
『論語』巻第八 衛霊公第十五(Web漢文大系)
ここに表明されている思想は、teaching としての《教育》の原理的不可能性であり、communicating としての《教育》の原理的可能性なのである。
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コメント
足踏堂さん、どうも。
組織における位階制は、権限のピラミッドであるとともに、知識に関するヒエラルヒーでもあります。組織の位階制を上昇すると視野は拡大しますが、知識の詳細度は低下します。
人間の認知限界(一定)=知識視野×知識詳細度
だからこそ、組織上位の人間は、下位の詳細を極めた「局所的知識」(塩沢由典)を常にリサーチせざるを得ないわけです。この原理をサッパリ理解できなかった典型的組織が、日本陸軍参謀本部でしょう。
投稿: renqing | 2006年12月31日 (日) 04時35分
加齢御飯さん、どうも。
他者に「教えること teaching」は原理的に不可能ですが、「知りたい」と考えるように、encourage することは、communicating を通じて可能だと考えます。教師はそこに賭けるしかないと思っています。
投稿: renqing | 2006年12月31日 (日) 04時07分
TBありがとうございました。
いや、しかし、ご無沙汰いたしております。
TeachingとCommunicating、興味深いですね。私は、仰られるところのTeachingは、見事に軍隊組織との親和性を持っていると思います。上意下達には適していますが、現場の意見をくみ上げるには不適とされる軍隊組織。それは、常に「教える」方が「正しい」という前提があるからではないでしょうか。軍隊型の会社組織と同様、ヒラメ型人間が跋扈し、悪質ないじめと、都合の悪い情報の揉み消し、組織内情報操作など、当然の結果でしょう。
あれ、書いてて、今の政府のことが思い出されてきちゃいました。防衛「省」法案と教育基本法「改正」案が同時に通ったというのは、象徴的なことだと、後世言われるのかもしれません。
投稿: 足踏堂 | 2006年12月26日 (火) 10時50分
TBをありがとうございました。文中の孔子のことばは卒論指導をやっていて、いやというほど感じたことです。自分で知ろうとしない人間になにかを教え込むことなど不可能です。「ゆとり教育」をやめれば子どもが勉強するようになるなどと考えるのがなんともおかしなことですね。
投稿: 加齢御飯 | 2006年12月26日 (火) 07時18分