おわび、あるいは、心身相関についての一考察(2)
1ヶ月近く、記事を書けなかった理由は、三つ。
1)仕事が忙しくなってしまったこと。
2)身内に高齢者がおり、肺炎気味の風邪をひいたこと。
3)その看病をしていたら、自分にも肺炎気味の風邪がうつってしまったこと。
しかし、その高齢者は40度近くの熱を出しながら大事に至らずに済み、私もその遺伝子を分有しているためか、抗生物質を服用するとたちまち、胸の痛みが晴れ、急激に回復に向かった。それで、このようにblogに復帰している次第。
少し落ち着いたところで、感じ入ったことがいくつか。
生まれつきの体の頑健さはというものは、確かにある、ということ。その高齢者は、普段から、タバコはスパスパ吸うは、食べ物(と人間の)好き嫌いは激しいは、運動不足なのに歩くのは嫌い、で不養生を重ねている。にも関わらず、この生命力。
また、その御仁は、生来、楽天的というか、はっきり言って、浅慮。その浅慮ゆえに、人生において何度も手痛い失敗を繰り返しているにも関わらず、 過去を振り返るのは大嫌い。つまり、反省ということができない。冷静に考えると、はた迷惑なことはなはだしい人物なのだが、その根っからの単純さ=明るさ で、他人には好かれやすいわけだ。
その性格は、南の離島で生まれたという文化人類学的要素によるのだろうか、と従来、観察してきた。しかし、今回のことを機に、その要因よりも、何 より、その持ち前の頑健さが、ものごとを深刻に考える必要性を感じさせないできたのではないか、ということに思い至った。なにがともあれ、身体に深刻な不 安がないので、なにがどうなっても生きていける、という潜在意識があるのだろう、というのが一つの帰結だ。
そこで、はた、と思い至った。この私も、当然その遺伝体質のおかげで頑健だ。幼少より、怪我をしても、病気をしても薬など使わずにたいてい寝てい れば直ることが多かった。さすがに、最近は若干かげりは出てきてはいる。小学生のころなどは、遊んでいて木片が足に刺さっていたのに、一ヶ月近く、「膿が 出るなぁ」と放置していて、そのうち、棘のようなものが傷口から出てきたので、刺抜きで抜いていた。しかし、きりが無いので仕方なく、医者に見せたとこ ろ、「何かはいってますねぇ。」と、でっかい刺抜きみたいのでその棘の先端をむんずと挟み、ズブズブ抜いたら、あれま、5cmくらいの木片が出てきた。こ れにはさすがに私自身の驚いたことはいうまでもない。
また、その一方で、この私も、浅慮と反省の繰り返しの人生となっている(幸いにして、辛うじて反省だけは人並みにする)。すると、ある一つの命題が構成可能となるわけだ。
ということで、続きは次回に。
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