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2007年2月 5日 (月)

責任観念の多義性(1)

 このマトリクスで、「自己責任」なる自己撞着な言葉の不条理を論証しようというも目論見なのだが、少々疲れてきた。この装置の具体的な稼動は(2)へ、続く。

                 
 

 

 
 

誰に対する?

 
 

何についての?

 
 

私の(主観的)

 
 

 

 
 

 

 
 

彼の(客観的)

 
 

 

 
 

 

 

 

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