坂野 潤治『明治デモクラシー』岩波新書 2005年
史家の書くものには二種類ある。「事実」につくもの。そして、「議論」につくもの。この二つである。前者は、プロの史家が書くものであれば、読み手にとって得るものがない、つまりハズレとなる危険性は低くなる。後者は、その史家の構成力次第であり、下手をすると失望することもありうる。ただ、たいていの歴史書は、両者の混合物であり、著者の好みによってどちらかに比重がかかるというものであろう。
本書は、基本的に「事実」につくものと言ってよい。書名から受ける印象は、問題提起ふうに見えるが、基本にあるのは「事実」志向である。その意味で、歴史好きの読書子なら読んで得るところは少なくない。私も裨益すること大であった。
ただ、多少の文句はある。p.iiiで、「大正デモクラシー」の著者の設定を、1914年-1925年、としてるが、一方、p.180では、 1905年-1920年、とする。これは読者を混乱させはしまいか。また、p.151に、「制限だらけの明治憲法においても、議会の立法権だけは認められ ていた」とあるが、これは明らかにまずい。帝国憲法第37条には、「凡テ法律ハ帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要ス」とあり、「協賛」の字義はどう考えても立法権 とはいえないし、第5条には議会の協賛を条件とした天皇の立法権は明記してあるからだ。
他には、北一輝の見方、等に教えられることもあった。新書サイズではあるが、読みでのある書である。
個人的に。最も興味深かったのは、河野広中の道中日記だろうか。坂野氏の発掘による新資料というわけではなく、日本政治史における碩学の先行研究 からの紹介である。ただ、事実上埋もれているに等しいとも言え、こういう紹介は専門家にしてもらわないと、素人にはその存在すらわからないものだ。その意 味で助かる。明治初期における、東日本と西日本の交通アクセスの状態が一読瞭然。それが当時の民権活動家の動きや、引いてはその政治的帰結にも微妙に影響 することは、改めて得心がいった。事実につく良さだろう。
なお、前々回も少し紹介した、尾藤正英「江戸時代とはなにか」岩波書店2006年、所収の「日本史上における近代天皇制―天皇機関説の歴史的背景」を、本書第6章の坂野氏所説と比較すると、その異同が浮き彫りにされて、さらに理解が深まろう。
ついでに。下記の書が出ている。
坂野潤治・田原総一郎 『大日本帝国の民主主義』 小学館 2006年
田原総一郎氏の素朴な質問と反応が、傍痛いのも一興。わかりやすいが書評本と併読するほうがよい。
〔目次〕
はじめに
第1章 士族と農民の結合
1 新時代到来の予兆
2 西南と東北の結合を求めて
第2章 参加か抵抗か
1 議院内閣制論の登場
2 愛国社のルソー主義
第3章 分裂と挫折
1 愛国社と第二回国会期成同盟
2 交詢社グループの春
第4章 束の間の復活―大同団結運動
1 沈滞から復活へ
2 明治二十年の二つの運動
3「田舎紳士」か「勇民」か
第5章 「官民調和」―明治憲法体制の定着
1「主権在民論」の敗退
2「政費節減」か「民力休養」か
3「官民調和体制」の確立
第6章 継承と発展―「大正デモクラシー」へ
1 美濃部達吉の天皇機関説
2 若き日の北一輝―主権論、普通選挙論、社会主義論
3「民本主義」と「明治デモクラシー」―結びに代えて
あとがき
資料・参考文献
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