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2007年3月10日 (土)

和辻哲郎「日本古来の伝統と明治維新の歪曲について」(2)

 このやうな武将の城、武備によつて権力を誇示する城が、突如として皇居とされ、それが続いてゐる間に、何時の間にか皇居が「宮城」に変質して行つた。・・・。

・・・。京都御所の担つている意味、即ちあくまでも「武備」を持たない、最高のみやびの場所としての内裏の意味は、あまり教へられなかつた。・・・。

・・・。さうゆふ傾向は当時一般の民衆の間にもしみ込んでゐたらしく、この時代の社寺の縁起物語などにはいろいろな形でそれが現はれてゐる。その一つの例として三島明神の縁起を物語る「みしま」をあげることが出来るであらう。この物語のなかに、「四国より民どもあまた、七さいしよ詣でに都へ上りたるが、内裏を拝みまゐらせて、田舎の物語にせんとて」御所の垣外へやつてくる箇所がある。ちやうどその時に、みかどの寵愛を受けてゐる玉王が、前裁の花を見て遊んでゐたのであるが、その姿を垣外から感嘆して眺めてゐた人たちの中の一人が、突然あの上葛を知つてゐると言ひ出し、垣外で声高く議論をはじめた。玉王は築地の側でそれを立ち聞きして、自分が鷲にさらはれて伊豫から阿波へ持つて来られた子であるといふことを初めて知るのである。この描写によると、内裏は垣外から中の見えるやうな、また築地の中にゐて外の往来で話してゐることの聞き取れるやうな、簡素なものであるが、しかしそれにもかかわらず、そこは「拝む」に価する場所であつたのである。

講座現代倫理第十一巻、筑摩書房、昭和34年、所収、p.236

〔参照〕
和辻哲郎の明治維新批判
和辻哲郎「日本古来の伝統と明治維新の歪曲について」(1)

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